シーダーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 18:42 UTC 版)
詳細は「シーダーズの戦い」を参照 モントリオールの上流には、大陸軍が占領中に意に介さなかったイギリス軍の小さな駐屯地が並んでいた。春が近付くと、カユガ族、セネカ族およびミシソーガ族の戦士達が駐屯地の一つであるオスウェガッチーに集まり始め、そこの指揮官であるジョージ・フォスター大尉にアメリカに対抗できるだけの力を与えた。フォスターはモントリオールから逃げてきた1人のロイヤリストの勧めで彼らを戦力に含めた。さらにウースター将軍が上流側に物資を送ればそこのイギリス側に使われることを恐れて上流のインディアンとの交易を許可しておらず、愛国者側およびロイヤリスト側の商人達にとって悩みの種だったが、大陸会議の代表団がこの決定を覆したので物資が上流側に流れ始めた。 モーゼス・ヘイズンは上流のイギリス側へ物資が流れることを阻止するため、またインディアンが集まっているという噂に反応し、ティモシー・ベデル大佐と390名の部隊を40マイル (64 km) 上流のレ・セドル(英語でザ・シーダーズ)という地点に派遣し、そこで柵で囲んだ防御工作物を造らせた。フォスターはこの動きをインディアンのスパイやロイヤリストから知らされ、6月15日にインディアン、民兵および正規兵の混成部隊約250名で下流への行軍を始めた。複数回の戦闘(シーダーズの戦い)の中で、ベデルの副官アイザック・バターフィールドが18日に戦わずして全軍降伏し、他に援軍として送られた100名も19日の短時間の小競り合いの後で降伏した。
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