シビュラの託宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 01:08 UTC 版)
『シビュラの託宣』(シビュラのたくせん、ラテン語: Oracula Sibyllina)は、シビュラが語った神託をまとめたと主張するギリシア語の詩集である。重複分を除けば12巻分と8つの断片が現存している。
注釈
- ^ ラクタンティウスより。
- ^ ハリカルナッソスのディオニュシオスより。
- ^ 当記事では便宜上、『シビュラの託宣』からの引用は、著作権保護期間が切れているテリーの英訳から転訳する。もちろん、ほぼ同じ箇所が Collins 2009 の英訳などでも確認できる場合に限っており、現在の校訂などに照らして明らかに逸脱するような箇所の引用は行っていない。
- ^ 以下、この記事での行数は全て Geffcken 1902 に従った。この区切り方は Collins 2009 や柴田訳・佐竹訳でも踏襲されている。
- ^ この点は本来の第2巻か第3巻が失われた可能性や、「断片」が本来の第2巻の一部だった可能性などとも結び付いてくる。関連する情報は#写本の系統を参照のこと。
- ^ 具体的には、擬フォキュリデスを含むのは#写本の系統でいうところのプシー写本群のみである (Collins 2009, p. 330)。
- ^ 具体的には#写本の系統で言うところのプシー写本群はミカエルやガブリエルになっており、クルフェスやコリンズが支持している。バラキエルやラミエルはフィー写本群に見られる表記で、ゲフケンが採用していたほか、佐竹訳でも採用されている (cf. Collins 2009, p. 350)。
- ^ そのような校訂版や翻訳の例としては、Terry 1890, Geffcken 1902, Collins 2009 など。
- ^ ちなみに、キリスト教的と見たのはゲフケンで、それに否定的なのがルザックやクルフェスである。
- ^ この表の特に断りのない箇所の出典は Geffcken 1902, p. (LVI), Collins 2009, p. 321 である。この2つの出典の写本番号や推定成立時期は全て一致しているが、Z写本とD写本の情報は Collins 2009 にしか載っていない。
- ^ 本文にもある通り、第11巻以降の執筆年代推定はもっと幅がある。ただし、煩瑣になるのを避けるため、ここではより新しい20世紀後半以降の見解のみ採用した。
- ^ より厳密に言えば、「断片」1から3のみは、その出典である『アウトリュコスに送る』の日本語訳の中でも訳出されている。cf. 今井 1995, pp. 99–195。
- ^ 荒井 & 石田 1989 の「シビュラの託宣」の項で、参考文献の一つとして挙げられている。
出典
- ^ 柴田 1975, p. 144, etc. 「偽書」と規定している文献としては、他に長窪 2008 等。
- ^ 秋山 2001,「偽典」の項。
- ^ 荒井献 1997, 巻末「新約聖書外典一覧」。
- ^ 小河 1996, p. 143, etc.
- ^ ミノワ 2000, p. 65.
- ^ 伊藤 1988, p. 78.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o Catholic Encyclopedia (1913).
- ^ a b c d e f g h "Apocalyptic Literature", Encyclopaedia Biblica (1899), Tome 1.
- ^ 該当部の翻訳が 伊藤 2010 の末尾にある。
- ^ 伊藤 2010, p. 30.
- ^ 伊藤 1988, p. 81.
- ^ a b c d 伊藤 2010, p. 21.
- ^ 伊藤 1988, pp. 81–82.
- ^ 伊藤 2010, p. 35. 伊藤はラクタンティウス経由で「タルクィニウス・プリスクス」とした。
- ^ ミノワ 2000, pp. 106–107. ミノワはディオニュシオス経由で「タルクィニウス・スペルブス」とした。
- ^ ミノワ 2000, p. 108.
- ^ ミノワ 2000, p. 107.
- ^ 柴田, 1975 & p.144
- ^ 伊藤 1988, pp. 78–79.
- ^ a b 『世界大百科事典』改訂新版(第12巻、平凡社、2007年)の「シビュラ」の項。
- ^ cf. 岩崎 1998.
- ^ 柴田 1975, pp. 144–145.
- ^ a b c d 荒井 & 石田 1989、「シビュラの託宣」。
- ^ 柴田 1975, pp. 143–144.
- ^ Collins 2009, p. 320.
- ^ a b c d Collins 2009, p. 322.
- ^ ダニエルー 1996, pp. 201–204.
- ^ 伊藤 2010, p. 21.
- ^ Terry 1890, p. 47.
- ^ Terry 1890, p. 62.
- ^ 佐竹 1976, p. 321。論争については "Sibyl", Jewish Encyclopedia も参照。
- ^ Collins 2009, p. 331. なお、前者はゲフケンが、後者はクルフェスが提唱した。
- ^ a b 佐竹 1976, p. 321.
- ^ a b Collins 2009, p. 332.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah "Sibyl", Jewish Encyclopedia.
- ^ a b Collins 2009, p. 330.
- ^ a b c cf. 佐竹 1976 や (Collins 2009) における訳注。
- ^ Collins 2009, p. 342.
- ^ Collins 2009, pp. 330, 333
- ^ cf. 大貫 2010, p. 178
- ^ a b c d cf. 柴田 1975 における訳注。
- ^ (Terry 1890, p. 76).
- ^ a b c 柴田 1975, p. 145.
- ^ Terry 1890, p. 119。なお、ゲフケンの校訂版に従う柴田訳の該当箇所(119 - 122行目)には「償う」 (expiate) という意味合いは見られない。
- ^ Collins 2009, p. 381.
- ^ a b Collins 2009, p. 382.
- ^ a b cf. 佐竹 1976, p. 322.
- ^ cf. ダニエルー 1996, pp. 202, 226.
- ^ マッギン 1998, pp. 66–68.
- ^ 柴田 1975, p. 147.
- ^ a b Terry 1890, p. 130.
- ^ 柴田 1976, p. 354.
- ^ ダニエルー 1996, pp. 112, 182.
- ^ a b Collins 2009, p. 390.
- ^ cf. Collins 2009, p. 390.
- ^ Terry 1890, p. 159.
- ^ Terry 1890, p. 185.
- ^ cf. 佐竹 1976, Collins 2009 etc.
- ^ a b ダニエルー 1996, pp. 112–113.
- ^ ダニエルー 1996, p. 113.
- ^ Collins 2009, p. 406.
- ^ ex. 佐竹 1976, p. 321.
- ^ a b c d Collins 2009, p. 408.
- ^ Collins 2009, pp. 408–409.
- ^ Collins 2009, p. 416.
- ^ Collins 2009, p. 417.
- ^ a b c d Bate 1918, p. 16.
- ^ a b c Collins 2009, p. 321.
- ^ 長窪 2008.
- ^ 出村 1994.
- ^ a b Terry 1890.
- ^ Terry 1890, pp. 201, 219, 235, 247.
- ^ a b 長窪 2008, p. 229.
- ^ Collins 2009, p. 323.
- ^ Terry 1890, p. 261.
- ^ Collins 2009, p. 432.
- ^ a b Collins 2009, p. 443.
- ^ Terry 1890, p. 219.
- ^ 柴田 1975, p. 352.
- ^ a b c 隠喩の読み方は Terry 1890 の訳注による。
- ^ Terry 1890, p. 235.
- ^ a b Collins 2009, p. 453.
- ^ Terry 1890, p. 247.
- ^ a b Collins 2009, p. 459.
- ^ 本来を「15巻本」としている文献としては、出村 1994 が挙げられる。
- ^ Terry 1890, p. 25.
- ^ 伊藤 2010, pp. 24–25.
- ^ (Collins 2009, pp. 360, 469).
- ^ Collins 2009, p. 469.
- ^ 伊藤 2010, p. 24. 大元の出典は Thompson 1952.
- ^ Collins 2009, p. 324. 大元の出典は Thompson 1952.
- ^ a b 柴田 1975, p. 146.
- ^ 伊藤 2010, p. 25.
- ^ 伊藤 2010, pp. 24–26.
- ^ 伊藤 2010, pp. 26–27.
- ^ 伊藤 2010, p. 22.
- ^ 伊藤 2010, pp. 21–22.
- ^ ミノワ 2000, pp. 176–177.
- ^ 伊藤 2010.
- ^ 伊藤 2010, pp. 30–31.
- ^ 伊藤 2010, p. 31.
- ^ 伊藤 1988, p. 82.
- ^ cf. 伊藤 1988, p. 82.
- ^ 『カトリック大辞典』、「シビラ」。
- ^ 伊藤 2010, pp. 22–23.
- ^ a b c d 伊藤 2010, p. 23.
- ^ Terry 1890, p. 17.
- ^ a b 柴田 1975, pp. 148–149.
- ^ a b 柴田 1975, p. 148.
- ^ Geffcken 1902.
- ^ a b c Collins 2009, pp. 359–360.
- ^ 肩書きは Collins 2009 による。
- ^ a b c d e Collins 2009, p. 326.
- ^ Blass 1900.
- ^ Lanchester 1913, pp. 368–406.
- ^ Bate 1918.
- ^ 原書 Kurfess 1951.
- ^ 原書 Kurfess & Wilson 1965.
- ^ 原書 Nikiprowetzky 1970.
- ^ a b Collins, 2009 & p.326.
シビュラの託宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:40 UTC 版)
「シビュラの託宣」も参照 上記『シビュラの書』の名声にあやかって偽作された予言書が『シビュラの託宣』である。これは紀元前2世紀以降のユダヤ教徒が作成し始めたもので、のちにキリスト教徒たちも大きく関与した。 結果として、『創世記』や正典の福音書に依拠した部分も多く、一神教的でない起源を持つ本来の『シビュラの書』とは全く別のものになっている。しかし、ここから22人に及ぶ古代の教父たちがキリスト教的な預言として引用したため、キリスト教世界でも、シビュラは異教徒の世界においてキリストの降誕を予言した女預言者というイメージが広まった。それによって上述のとおり、シビュラはキリスト教美術の題材として、教会建築物にも取り込まれていったのである。
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