ゴジラに関するエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 05:32 UTC 版)
「薩摩剣八郎」の記事における「ゴジラに関するエピソード」の解説
「ゴジラ (平成VSシリーズ)」も参照 『ゴジラ対ヘドラ』への出演は、東宝で特技監督の中野昭慶に出会ったことがきっかけであった。中山(薩摩)は、顔出しの役だと思っていたため、怪獣役と知って落胆したが、事務所からギャラが良いと勧められこれを受けたという。また、以前からゴジラの名は知っていたが、映画館で鑑賞したことはなかった。煙を吸うシーンでむせ返るなど苦労もあったが、撮影が終わる頃には面白いと感じるようになったと述懐している。一方で、ヘドラやガイガンでは、ただ演じるだけで精一杯であったとも述べている。 『ゴジラ』(1984年)では、「185cmを超える役者」とのオファーに対し、当時主宰していた劇団の役者を推薦するも本人が辞退したことから、代わりに自身(身長170cm)が演じることとなった。そのためスーツはサイズが合わずたるみ、覗き穴の位置も合っていなかったため自ら穴を開けたという。 『ゴジラ』の撮影時にメイキングを担当していた川北紘一に対し、メイキング用の撮影を断るなど不遜な態度をとっていたため、川北が特技監督を務めた『ゴジラvsビオランテ』以降のシリーズに起用されたのは意外であったという。薩摩を推薦したのも川北であった。薩摩は『ゴジラ』での演技に悔いが残っていたため、薩摩流のゴジラを作り出すため改めて研究したといい、撮影で東宝映画会長の田中友幸から評価されたことで自身を得られたと語っている。 VSシリーズの撮影では、ゴジラのスーツに入ったら待たせないことを条件としていた。これは現場をだらけさせない意図もあったといい、川北も薩摩がスーツに入ると現場に活を入れていたという。一方で、ゴジラ付きのスタッフを気遣い、中に針金などが入ってしまっても言わずにおくなどしていた。 スーツは視界が悪いため、操演で飛んでくる敵怪獣とぶつかる際はタイミングをリハーサルで覚え、本番ではほとんど勘に頼って動いていると語っている。 『ゴジラvsデストロイア』ではメカニックや電飾も含めたスーツの重量が120キログラムを越えるなど、過酷を極めた。後年に述懐したところによれば、スーツ内の炭酸ガスの噴射ギミックによる酸欠で4回ほど卒倒したため、酸素ボンベを常時入れるようにしてもらったという。その後も、ボンベのホースが捻れて酸素が来ないことも度々あったと述懐している。 スーツの着用時は心理的な恐怖も生じるため、スーツアクターは肉体的な強さだけでなく、絶対的な自信を持つ精神力も必要であると述べている。爆発や怪我よりも、閉鎖された中での恐怖が強く、スーツの中に入ったら何も考えないようにしているという。 イベントなどでアトラクション用のスーツに入る機会もあったが、本心では嫌であったという。また、テレビなどで他人が演じたゴジラも薩摩が入っていたかのように思われるのも辛いと語っている。 薩摩は、『vsデストロイア』で完全燃焼はしていないが、最後と決めて演じたため、ゴジラに対して未練や後悔はないと語っている。
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