コミック作家としての作風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/26 14:36 UTC 版)
手塚治虫主宰の雑誌『COM』に初掲載されたのは1970年、芥真木が18歳の時。作品名は『とべない羽』。芥真木作品は、エンターテインメント性の低いマニアックな作品との評価が一般的。『COM新人賞』の審査では、芥真木作品に対し賛否両論、意見がまっぷたつに分かれた。赤塚不二夫、つのだじろうは、芥真木の受賞に大反対、理由は「若さに似合わず、視線が冷た過ぎる」という意見。藤子不二雄、石ノ森章太郎、ちばてつやは「安定したストーリー構築力は評価に値する」と押し、審査委員長の手塚治虫は、「今までにない哲学的な漫画家の誕生」と賞賛した。 芥真木は1977年25歳のときに『女性セブン』でコミック原作者としてデビュー。以来、自身で絵を描くことはなくなった。原作者としての芥真木作品は、マニアックな要素は影を潜め、エンターテインメントに徹している。(参考文献:『底辺絵巻の画工たち(株式会社産報刊)』『まんがジャーナル(白水社刊)』『20歳の人生探求者/塩田丸男著(読売新聞社刊)』『宝島(宝島社刊)』、情報提供:金子保知 他)
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