クセロケルコス門とは? わかりやすく解説

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クセロケルコス門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:37 UTC 版)

コンスタンティノープルの城壁」の記事における「クセロケルコス門」の解説

クセロケルコス門 (Πύλη τοῦ Ξυλοκέρκου/Ξηροκέρκου)は、第22塔と第23塔の間にある門で、現在ではベオグラード門 (Belgrat Kapı)と呼ばれている。ファン・ミリンゲンはこの門を「第二軍門」と呼んだが、実際第二軍門ははるか北にある。かつて壁の外には木造キルクス円形闘技場アンフィテアトルム)があり、これが門の名の由来となっている。門の大きさは、幅が約12メートル、高さ約20メートル長さ約5メートルとなっている。 ニケタス・コニアテスによれば1189年イサキオス2世アンゲロスがこの門に壁を築いて塞いだ。これは、第三次十字軍率い神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の軍が「クセロケルコス門を通る」、すなわち市内侵入してくるという予言があったためであるという。1346年に門は開放されたが、1453年包囲戦の際に再び封鎖され以後1886年までそのままだった。このため、クセロケルコス門は当初オスマン帝国内で「カパル・カプ」(Kapalı Kapı "閉ざされた門"の意)と呼ばれた

※この「クセロケルコス門」の解説は、「コンスタンティノープルの城壁」の解説の一部です。
「クセロケルコス門」を含む「コンスタンティノープルの城壁」の記事については、「コンスタンティノープルの城壁」の概要を参照ください。

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