クセロケルコス門
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「コンスタンティノープルの城壁」の記事における「クセロケルコス門」の解説
クセロケルコス門 (Πύλη τοῦ Ξυλοκέρκου/Ξηροκέρκου)は、第22塔と第23塔の間にある門で、現在ではベオグラード門 (Belgrat Kapısı)と呼ばれている。ファン・ミリンゲンはこの門を「第二軍門」と呼んだが、実際の第二軍門ははるか北にある。かつて壁の外には木造のキルクス(円形闘技場、アンフィテアトルム)があり、これが門の名の由来となっている。門の大きさは、幅が約12メートル、高さ約20メートル、長さ約5メートルとなっている。 ニケタス・コニアテスによれば、1189年にイサキオス2世アンゲロスがこの門に壁を築いて塞いだ。これは、第三次十字軍を率いる神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の軍が「クセロケルコス門を通る」、すなわち市内に侵入してくるという予言があったためであるという。1346年に門は開放されたが、1453年の包囲戦の際に再び封鎖され、以後1886年までそのままだった。このため、クセロケルコス門は当初オスマン帝国内で「カパル・カプ」(Kapalı Kapı "閉ざされた門"の意)と呼ばれた。
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