ギリシャの明暗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 07:16 UTC 版)
「前1200年のカタストロフ」の記事における「ギリシャの明暗」の解説
詳細は「暗黒時代 (古代ギリシア)」を参照 ギリシャではミケーネ文明が崩壊し、暗黒の時代を迎えた。しかし、この切っ掛けはギリシャに悪影響を与えるばかりではなかった。西アジアでは強力な王権が発達していたが、ミケーネ文明の時代、ギリシャはワナックス(英語版)(線文字B: 𐀷𐀩𐀏 - wa-na-ka、アナックスとも)や宮殿を中心とする再分配システムを中心に発達していた。この中でもワナックスは王権へ進化する可能性もあったが、結局、王の絶対性を担保する王権へ発達することはなかった。このため、ギリシャでは西アジアでは普通に見られる王に関する彫刻などは見られず、王の名前すら明らかではない。ある意味、宮殿の崩壊はこのワナックスなどのシステムの限界を表したものとすら言える 。 このカタストロフの影響はギリシャと東方との関係を一時的ながらも遮断することとなった。しかし、この遮断は新たな社会構造を構築するチャンスをギリシャに与えることになった。そしてポリスが成立し、古代ギリシア文明が繁栄することになる。ギリシャは「前1200年のカタストロフ」で多大な被害を被った。しかし、観点を変えるとギリシャは最大の恩恵を受けたとも言える 。
※この「ギリシャの明暗」の解説は、「前1200年のカタストロフ」の解説の一部です。
「ギリシャの明暗」を含む「前1200年のカタストロフ」の記事については、「前1200年のカタストロフ」の概要を参照ください。
- ギリシャの明暗のページへのリンク