キャンディーズ
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キャンディーズ(Candies)は、1970年代に活躍した日本の女性3人組のアイドルグループ・コメディエンヌである。所属事務所は渡辺プロダクション。多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版の社員だった松崎澄夫のプロデュースによるものであった。
注釈
出典
- ^ “キャンディーズ「微笑がえし」突然の解散宣言からの全キャン連宣言”. Re:minder. 株式会社リマインダー. 2022年8月19日閲覧。
- ^ “キャンディーズのどこがすごいのか?~その後に与えた影響から考える”. エンタメウォッチング. NIKKEI STYLE. 2022年8月19日閲覧。
- ^ “懐かしいのが新しい!“今っぽレトロ”ヘア”. ホットペッパービューティーマガジン. リクルート. 2022年8月19日閲覧。
- ^ a b c d 週刊現代2022年4月16日号週現「熱討スタジアム」第429回「キャンディーズの解散コンサートを語ろう」p136-139
- ^ 宇野俊一ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 講談社、1991年、1161頁。ISBN 4-06-203994-X。
- ^ ビデオリサーチ社 音楽高世帯視聴率番組
- ^ 2005年9月30日の『中居正広の金曜日のスマたちへ』の「ザ・ベストテンの真相」
- ^ “キャンディーズ再結成しなかった本当のワケ 酒井政利氏が激白”. ZAKZAK. 株式会社産経デジタル. 2022年8月19日閲覧。
- ^ a b “【紅白】伊藤蘭、46年ぶり凱旋で衰えぬ歌唱&ビジュアル 親衛隊にも反響「元祖ドルオタの本気をみた」”. ORICON NEWS. オリコン (2023年12月31日). 2024年2月27日閲覧。
- ^ 欠端大林 (2024年2月11日). “〈紅白で話題に〉キャンディーズを追い続けた男性が“45年ぶりの紙テープ”を投げるまで「紅白で“親衛隊”と紹介されていましたが、僕たちは…」”. 文春オンライン. 2024年2月27日閲覧。
- ^ NHK『わが愛しのキャンディーズ』(2006年7月17日放送)にて当時の映像を紹介
- ^ a b 水谷豊&伊藤蘭夫妻、平和への想いを広島から発信! - ORICON STYLE“水谷豊・伊藤蘭夫妻、広島市長と懇談 映画「少年H」PRで来広”. 中国新聞 (2013年7月27日). 2013年7月29日閲覧。
- ^ ““わが愛しのキャンディーズ”リマスター版”. NHK (2021年10月10日). 2021年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月13日閲覧。
- ^ 中国新聞 1974年4月23日朝刊 14ページ全面広告、1974年4月21日朝刊 4ページ・1974年4月26日朝刊 12ページ部分広告などには、「キャンディーズ(専属タレント)」の表記がされていた
- ^ 田中好子さんの最期 蘭さん・美樹さんみとる [1]
- ^ 「石破大臣が歓喜のキャンディーズ熱唱-守屋喚問、久間、額賀実名暴露の夜に」『週刊文春』2007年11月29日号、文藝春秋、26-28頁。
- ^ “自民・石破氏「青春そのもの。ありがとう。忘れないよ」”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2011年4月22日). オリジナルの2011年4月26日時点におけるアーカイブ。 2014年9月21日閲覧。
- ^ HARBOR BUSINESS Online ハーバービジネスオンライン>政治・経済>「激しい批判をする野党の後ろにも国民はいる」。総裁選出馬を決めた石破茂が語る国会・憲法・沖縄>厳しい質問をする野党議員の後ろにも「国民」がいる|インタビュー:菅野完|2018.09.08| ※2018年9月8日閲覧
- ^ “来年デビュー「ニューキャンディーズ」のメンバー3人決定”. 音楽ナタリー. ナターシャ. 2022年8月23日閲覧。
- ^ “「NEWキャンディーズ」C@n-dols、わずか8ヶ月で活動終了”. ORICON NEWS. オリコン株式会社. 2022年8月23日閲覧。
- ^ 『ナベプロ帝国の興亡』、P305-307。
- ^ 『ナベプロ帝国の興亡』、P314。
- ^ 穂口雄右 - 現実になったビジョン 第6回(最終回)「微笑がえし」[2]
- ^ “【1978年4月】微笑がえし/事実上のラストソングで初の1位”. SponichiAnnex. スポーツニッポン社. 2022年8月19日閲覧。
- ^ Musicman's RELAY 第25回 株式会社アミューズ代表取締役会長 大里洋吉 氏(2002年7月9日時点のアーカイブ)。
- ^ 『おはよう朝日です』「井上公造の芸能デラックス」(2011年4月22日放送分)、『ナベプロ帝国の興亡』P314にも記述あり。
- ^ 『ナベプロ帝国の興亡』、P315。
- ^ 現実となったビジョン 第2回 「年下の男の子」
キャンディーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:11 UTC 版)
1977年、渡辺晋から「キャンディーズを大人にしてやってくれ」という依頼を受け、キャンディーズ の「やさしい悪魔」と「アン・ドゥ・トロワ」のシングル2曲を含む4曲の作曲を手がけた。
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キャンディーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:01 UTC 版)
1972年(昭和47年)、NHKの歌番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールのオーディションに伊藤蘭、藤村美樹とともに合格。3人組は「キャンディーズ」と命名され、マスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)として活動。この年の紅白歌合戦で、橋幸夫(曲は「子連れ狼」)のバック・コーラスや、南沙織(曲は「純潔」)のバックダンサーを務めた。 1973年(昭和48年)9月1日、キャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー(コーラスパートはメゾソプラノ)。ニックネームは「スーちゃん」(好子の“好”という字が「すき」の「す」であるため)。キャンディーズのメンバーでは最年少であった。伊藤や藤村からはスーさんと呼ばれていた。 デビュー曲の「あなたに夢中」から4曲目の「なみだの季節」までは、歌唱力を評価されてキャンディーズ初期のセンター位置のリードボーカルを担当した。その間はヒット曲に恵まれず、その後5曲目の「年下の男の子」以降殆どは、メインボーカルを伊藤に譲り、向かって右の立ち位置でコーラスを務めた。 1977年(昭和52年)以降は、歌手としてだけではなく、作詞作曲(共作を含む)も行う。作品に「LOVE ME LOVE ME」「ミッドナイト・ハイウェイ」「私の彼を紹介します」「季節の別れ」「一番星さん」「なんとなく」「午前零時の湘南道路」「PLEASE COME AGAIN」「いけない人」「土曜日の夜」がある。 1978年(昭和53年)4月4日、キャンディーズの解散により芸能界を引退。
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「キャンディーズ」の例文・使い方・用例・文例
- お笑いコンビ,南(なん)海(かい)キャンディーズのしずちゃんこと山(やま)崎(さき)静(しず)代(よ)さんが,日本アマチュアボクシング連盟による2012年ロンドン五輪のための合宿に参加した。
- お笑いコンビ「南(なん)海(かい)キャンディーズ」のしずちゃんこと山(やま)崎(さき)静(しず)代(よ)さん(33)は現在,真剣なアマチュアボクサーでもある。
固有名詞の分類
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日本のアイドルグループ | Hipp''s Chu!☆Lips キャンディーズ うしろ髪ひかれ隊 プチドル隊 |
解散した日本のバンド・グループ | Lita BLACK CATS キャンディーズ ミドリ かぐや姫 |
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