キマフトマティキ ロケットエンジン会社の成熟期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 06:44 UTC 版)
「キマフトマティキ」の記事における「キマフトマティキ ロケットエンジン会社の成熟期」の解説
開発の成功により第154工場設計局は独立したOKB-154に改組された。新会社はロケットエンジンを開発する事が目的だった。開発作業は人工衛星打ち上げ用とミサイル用の液体燃料ロケットの開発の2分野だった。1958年2月10日にS. コズベルグとS.コリョロフの会談により始まった。この会合の結果はルナロケット用の酸素/ケロシンを推進剤とするRD-0105エンジン(エンジンの主任設計者は V. Koshelnikov)の共同開発だった。このエンジンは、世界で初めて第二宇宙速度に到達して、月面にソビエトの国旗を掲げ、月の周囲から月の裏側の写真を撮影する事を企図した。後に、月の裏側のクレーターの一つが、S. コズベルグに由来して名付けられた。KBKhAはボストークロケットの3段目(主任設計者– V. Koshelnikov)のためにRD-0105を原型としてRD-0109液体燃料ロケットエンジンを開発した。エンジンはより信頼性が高く、高効率で軽量の燃焼室の開発により、技術的な仕様が高水準だった。RD-0109の推力はユーリイ・ガガーリンの搭乗したボストーク1号を軌道に投入した。ボストーク宇宙船は全て1人乗りで異なる軍用と後に科学用の宇宙船になった。1950年代末から60年代初頭の宇宙産業は7000 kgまでのより強力な打ち上げ機の開発を必要としていた。この用途を満たすために設計局は軍用ロケットのR-9Aの2段目のエンジンのRD-0106を基に火星や金星への惑星間飛行のための宇宙機や2人から3人の宇宙飛行士が搭乗する宇宙船のためにS.コリョロフの開発した打ち上げ機であるモルニヤ、ボスホート、ソユーズの3段目のためにRD-0107、RD-0108とRD-0110 (主任設計者Y. Gershkovits)を開発した。これらの乗員には最初に宇宙遊泳をした者や軌道上でドッキングしたりアポロ宇宙船を含む2機が並んで飛行したものが含まれる。ソユーズ打ち上げ機は宇宙ステーションへ物資を輸送するために使用される。高信頼性のRD-0110を使用してこれまで1500回以上の打ち上げが成功した。1965年の始めに主任設計者のS.コズベルグが自動車事故で亡くなった。A. Konopatov が主導設計者として就任して設計局を引き継いだ。
※この「キマフトマティキ ロケットエンジン会社の成熟期」の解説は、「キマフトマティキ」の解説の一部です。
「キマフトマティキ ロケットエンジン会社の成熟期」を含む「キマフトマティキ」の記事については、「キマフトマティキ」の概要を参照ください。
- キマフトマティキ ロケットエンジン会社の成熟期のページへのリンク