カミュとの出会い
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1945年にサン=ジェルマン=デ=プレのカフェ・ド・フロールでカミュに出会った。ジュール・ロワは、すでに『異邦人』を発表していたカミュによって「アルジェリアの現実に目が開かれた」という。ピエ・ノワールとして生まれ育った彼にとってアルジェリアは「フランスの領土」であったが、そうではなく、フランスがアラブ人から「土地を略奪したこと」、そのようなアルジェリアについて自分が「何も知らなかったことを知った…現在の自分があるのは彼のお蔭だ」と語る。 もう一人、特に重要な影響を受けたのは、アルジェリア北部カビリー(フランス語版)地方出身の詩人ジャン・アムルーシュ(フランス語版)であった。ジュール・ロワはエクリチュールについて処女作から直接アムルーシュの指導を受け、カミュによって目が開かれたように、「アムルーシュによって心が開かれた」と述懐している。 また、ジュール・ロワと同じく従軍した体験や戦争を題材にする作品を書いていたドイツの作家エルンスト・ユンガーも彼が師と仰ぐ作家であった。ユンガーの『内的体験としての戦闘』とラクロ(ラクロも職業軍人)の『危険な関係』、そしてトマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』がジュール・ロワの軍人時代の枕頭の書であった。ジュール・ロワはこのほか、作家アンリ・ド・モンテルラン、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの翻訳で知られる詩人アルマン・ギベール(フランス語版)、サン=テグジュペリ、アンドレ・ジッドらの影響を受けた。
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