オフィス・ゴスミダ時代とは? わかりやすく解説

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オフィス・ゴスミダ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:51 UTC 版)

タモリ」の記事における「オフィス・ゴスミダ時代」の解説

タモリ赤塚宅で居候し東京居住することになったのと同時に、「ジャック豆の木」のA子ママA子匿名ではなく通称)を社長山下洋輔常務とするマネジメント事務所「オフィス・ゴスミダ」(「ゴスミダ」はタモリによる韓国語モノマネの1フレーズ)が設立され所属タレントとなる。同事務所のマネジメントにより、前述赤塚出演させたかったバラエティ番組マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』(1975年8月30日NETテレビ『土曜ショー』にて放送)で、テレビ番組初出演を果たす。放送ではインチキ牧師などのパフォーマンス次々と披露したが、たまたま番組見ていた黒柳徹子から「今の人、誰?すごいじゃない」とその夜のうちに問い合わせがあり、次いで13時ショー』(『徹子の部屋』前身番組NETテレビ)の素人芸コーナー珍芸スターお笑い大行進」(コーナーMCラビット関根)に、赤塚とともに2回目テレビ番組出演をした。京都大学学園祭に、筒井康隆高信太郎山下洋輔とともに出演し野坂昭如日高敏隆などの文化人との出会いを果たすが、学園祭主催者発生した金銭的なトラブル機に「オフィス・ゴスミダ」は解散した赤塚テレビ特別番組出演させるという当初の目的達成した赤塚らは、次の目的を「タモリ芸能界入り芸能事務所所属)させる」に設定し赤塚宅での居候生活田辺エージェンシー入りする直前まで継続され途中には妻も呼び寄せている。 赤塚らと飲み屋で騒ぐ中で、放送作家高平哲郎らとも知り合うなど、芸能界的な人脈増えていく。売り出すための算段などが練られて、「戦後最大素人芸人」というキャッチフレーズ作られたり、浅井慎平サイレント映画の大スター・ルドルフ・バレンチノ風にスタイリングしたアイパッチ姿をトレードマークとするなど、徐々にキャラクター作り込まれていった特異な芸風から所属事務所中々決まらなかったが、高平紹介受けて大手芸能プロダクション田辺エージェンシー契約を結ぶ。大恩人ともいえる社長田邊昭知とは、後に親友になっている。 なお、芸能界入りする際、4つ戒律を自らに掲げたという。 誰の弟子にもならない 組織には属さない 頭をなるべくさげずにカネをもうける 色紙サインをするときは、名前の横に添えモットーのようなものは持たない

※この「オフィス・ゴスミダ時代」の解説は、「タモリ」の解説の一部です。
「オフィス・ゴスミダ時代」を含む「タモリ」の記事については、「タモリ」の概要を参照ください。

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