オデヲン・チェーンの時代とは? わかりやすく解説

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オデヲン・チェーンの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 09:57 UTC 版)

吉祥寺オデヲン」の記事における「オデヲン・チェーンの時代」の解説

1954年昭和29年9月東亜興行が、国鉄現在のJR東日本中央線吉祥寺駅東口線路南側至近に、木造映画館吉祥寺オデヲン座新築開館する1949年昭和24年8月開館した阿佐ヶ谷オデヲン座中野オデヲン座1949年開館)、新宿オデヲン座1951年開館)、荏原オデヲン座1952年開館)、下北沢オデヲン座1952年開館)、そして同館と同月開館した高円寺平和劇場に次ぐ開館であり、同社形成する外国映画洋画)の三番館、つまりロードショー終えた作品その2週後に上映するチェーンである「オデヲン・チェーン」の一角位置づけられる。同館では、たとえば1956年昭和31年3月26日からの週には、前年1955年昭和30年12月23日日本公開された『ミスタア・ロバーツ』(監督ジョン・フォード)、同じく前年11月1日日本公開され『七年目の浮気』監督ビリー・ワイルダー) を二本立て上映している。 同館が開館する前の吉祥寺地区、とくに第二次世界大戦前同地区存在した映画館は、1926年大正15年前後に、井の頭公園通り現在の吉祥寺通り)に吉祥寺館として開館した井の頭会館東京府北多摩郡武蔵野村大字吉祥寺2047番地現在の東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目8番)のみであった戦後は、戦前からの井の頭会館、そして吉祥寺オデヲン座のほか、1957年昭和32年)までに武蔵野映画劇場1951年開館、のちの吉祥寺ムサシノ吉祥寺バウスシアター2014年閉館)、吉祥寺本町1丁目11番23号)、吉祥寺映画劇場1953年開館)、吉祥寺東映1956年開館現在の吉祥寺プラザ吉祥寺本町1丁目11番19号)、吉祥寺大映現在の吉祥寺本町1丁目5番)、吉祥寺スバル座現在の吉祥寺南町1丁目6番)の合計7館が存在した1959年昭和34年)までには、吉祥寺東宝(のちの吉祥寺ロマン劇場現在の吉祥寺本町1丁目23番)、吉祥寺日活現在の吉祥寺本町1丁目5番)、武蔵野シネマ吉祥寺名画座(のちのテアトル吉祥寺吉祥寺ピカデリー現在の吉祥寺本町1丁目22番)が加わり増減あって合計では10になった

※この「オデヲン・チェーンの時代」の解説は、「吉祥寺オデヲン」の解説の一部です。
「オデヲン・チェーンの時代」を含む「吉祥寺オデヲン」の記事については、「吉祥寺オデヲン」の概要を参照ください。

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