オデヲン・チェーンの時代
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「吉祥寺オデヲン」の記事における「オデヲン・チェーンの時代」の解説
1954年(昭和29年)9月、東亜興行が、国鉄(現在のJR東日本)中央線の吉祥寺駅東口(線路南側)至近に、木造の映画館吉祥寺オデヲン座を新築・開館する。1949年(昭和24年)8月に開館した阿佐ヶ谷オデヲン座、中野オデヲン座(1949年開館)、新宿オデヲン座(1951年開館)、荏原オデヲン座(1952年開館)、下北沢オデヲン座(1952年開館)、そして同館と同月に開館した高円寺平和劇場に次ぐ開館であり、同社が形成する外国映画(洋画)の三番館、つまりロードショーを終えた作品をその2週後に上映するチェーンである「オデヲン・チェーン」の一角に位置づけられる。同館では、たとえば1956年(昭和31年)3月26日からの週には、前年1955年(昭和30年)12月23日に日本で公開された『ミスタア・ロバーツ』(監督ジョン・フォード)、同じく前年11月1日に日本で公開された『七年目の浮気』(監督ビリー・ワイルダー) を二本立てで上映している。 同館が開館する前の吉祥寺地区、とくに第二次世界大戦前の同地区に存在した映画館は、1926年(大正15年)前後に、井の頭公園通り(現在の吉祥寺通り)に吉祥寺館として開館した井の頭会館(東京府北多摩郡武蔵野村大字吉祥寺2047番地、現在の東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目8番)のみであった。戦後は、戦前からの井の頭会館、そして吉祥寺オデヲン座のほか、1957年(昭和32年)までに武蔵野映画劇場(1951年開館、のちの吉祥寺ムサシノ→吉祥寺バウスシアター(2014年閉館)、吉祥寺本町1丁目11番23号)、吉祥寺映画劇場(1953年開館)、吉祥寺東映(1956年開館、現在の吉祥寺プラザ、吉祥寺本町1丁目11番19号)、吉祥寺大映(現在の吉祥寺本町1丁目5番)、吉祥寺スバル座(現在の吉祥寺南町1丁目6番)の合計7館が存在した。1959年(昭和34年)までには、吉祥寺東宝(のちの吉祥寺ロマン劇場、現在の吉祥寺本町1丁目23番)、吉祥寺日活(現在の吉祥寺本町1丁目5番)、武蔵野シネマ、吉祥寺名画座(のちのテアトル吉祥寺、吉祥寺ピカデリー、現在の吉祥寺本町1丁目22番)が加わり、増減あって合計では10館になった。
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