オズボーン水師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 15:12 UTC 版)
1863年、恭親王が編成を命じた清朝初の近代海軍。1851年以降、太平天国の乱で治安が悪化した江南(特に上海)の防衛のために、英国海軍の協力の下、同海軍のシェラード・オズボーン(英語版)大佐を雇い入れ、6隻の艦隊と約600名の乗員の編成・運用を任せたものである。しかしオズボーン大佐は艦艇と乗員をすべてイギリスから調達し、自らの水師を皇帝直属の英・清合同艦隊(China and Royal Navy)と定義。旧式の緑営水師のように現地の督撫の指揮下に入ることを拒否した。これに反発した曽国藩ら清朝の督撫はオズボーンの解任と艦隊の解散を要求。1863年10月には早くも解散が決まりオズボーンは帰国、艦艇も1865年までに、ほとんど任務に就かないまま全て売却された。なお日本の薩摩藩の軍艦「春日」は、この解散したオズボーン水師から流れてきた艦である。
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