エレファンティネのユダヤ神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/22 22:57 UTC 版)
「エレファンティネ・パピルス」の記事における「エレファンティネのユダヤ神殿」の解説
ユダヤ人たちはヤハウェのための自分自身の神殿を持っていたが、多神教的な信仰を証拠だてるもので、エジプトのクヌム神の神殿と並行して機能した。 1967年に行われた発掘では、ユダヤ人の集落が小さな神殿を中心としていることを明らかにした。 「バゴアスへの誓願」(セイス=カウリー・コレクション)は、紀元前407年にペルシア人のユダヤ知事バゴアス(英語版)へあてて書かれた手紙で、エレファンティネのコミュニティーの一部の反ユダヤ人暴動によってエレファンティネのユダヤ神殿がひどく損壊したため、再建を支援するように訴えている。 訴えの中で、エレファンティネのユダヤ人住民は損壊した神殿の歴史の古さについて語っている。 かつてエジプト王国の時代に我らの祖先がエレファンティネの要塞に神殿を建設し、カンビュセスがエジプトを訪れたときに神殿が建てられているのを見ている。彼ら(ペルシア人)はエジプトの神々の神殿をすべて破壊したが、誰もこの神殿を傷つけることはなかった。 ユダヤ人たちはまたサマリア人の権力者であったサンバラト1世とその子のダライヤおよびシェレミヤ、またエルヤシブの子ヨハナンにも誓願している。サンバラトとヨハナンの名は「ネヘミヤ記」2章19と12章23に見えている。 バゴアスとダライヤはともに勅令によって神殿を再建の許可を与える返事を覚え書きの形式で書いている。「1バゴヒとデライヤの言葉の覚え書き2に曰く、覚え書き:汝はエジプトにて……8当地にかつての通り(再)建することを……」 紀元前4世紀中ごろまでにエレファンティネの神殿は使われなくなった。ネクタネボ2世(英語版)(在位360-343BC)の時代にクヌム神殿が再建・拡大されて、もとのヤハウェ神殿に取ってかわった発掘証拠がある。
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