イングリッシュ・コンサーティーナとの違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:16 UTC 版)
「コンサーティーナ」の記事における「イングリッシュ・コンサーティーナとの違い」の解説
ウーリヒはウィーンに旅したとき、シリル・デミアンのアコーディオンを購入し、それをヒントにコンサーティーナを発明した。ウーリヒは同時代のイギリスのホイートストンのイングリッシュ・コンサーティーナを参考にしたのか、それとも、それを知らずに別個に発明したのか、どちらが真相なのかについては、よくわかっていない。ホイートストンとウーリヒのコンサーティーナは、内部機構はかなり異なる。ホイートストンのイングリッシュ・コンサーティーナは、細い金属製の「てこ」状のレバーを放射状に並べているが、ウーリヒのジャーマン・コンサーティーナは木製のレバーを平行線状に並べている。またイングリッシュ・コンサーティーナの蛇腹は高価な皮革製だったが、ジャーマン・コンサーティーナの蛇腹は安価な厚紙製だった。ホイートストンが発明したイングリッシュ・コンサーティーナは、当初は比較的高価で、富裕層のサロン音楽の楽器としてもてはやされた。これと対照的に、ウーリヒのジャーマン・コンサーティーナは比較的低価格で、出せる半音が限られるなど性能面の制約はあったものの、庶民層の手軽な通俗音楽の楽器として世界各地に広がった(上掲の、1856年の英国の絵画「盲目の少女」の絵を参照)。 初期のジャーマン・コンサーティーナ 発明者のカール・フリードリヒ・ウーリヒ。後ろのリード・オルガンの上に各種のコンサーティーナが並んでいる。 ジャーマン・コンサーティーナないしケムニッツァ・コンサーティーナを立奏する観光地のガイド(米国)。 プリンケの絵「台所の軍楽兵」。ボタン鍵の並び方と左手首のところのチャンバー(共鳴箱)から見て、ケムニッツァ・コンサーティーナと思われる。1918年ないし1922年の作。
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