イス・フィヨルドの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 04:14 UTC 版)
「ニールス・ユール (海防戦艦)」の記事における「イス・フィヨルドの戦い」の解説
第二次世界大戦当時のデンマーク海軍最大の艦であったニールス・ユールは、1940年4月のヴェーザー演習作戦によるドイツ軍の侵攻では、海面の氷の状況が思わしくないことから、乗員を減らした不活発な状態でコペンハーゲンに存在した。そのため、3、4門がランゲルニエ地区に停泊したドイツ艦に発砲した可能性が指摘されるに留まり、残存している。その後のドイツ占領下では、デンマークの内海に行動範囲が制限され、シェラン島のイス・フィヨルド(da:Isefjorden)で練習任務に当たっていた。しかし、1943年には、占領軍であったドイツ軍との緊張が高まり、デンマーク海軍のスウェーデンへの脱出が検討される状況となった。 1943年8月29日、サファリ作戦と呼ばれるデンマーク艦接収作戦を開始したドイツ軍(ドイツ語版)に対し、ホルベック(da:Holbæk)に停泊中のニールス・ユールは脱出を試み出航した。ニールス・ユールは、イス・フィヨルド出口付近でドイツ海軍に捕捉されつつも、フネステズ(da:Hundested)沖に進出した。 フネステズ沖に進出したニールス・ユールは、新たな命令を待ちながらもドイツ軍とイス・フィヨルド出口に機雷原が構築されている可能性を警戒しつつ航海を続けたが、脱出阻止を目的とした航空機による威嚇攻撃を受け進路を南に変更した。その後、4度の航空機による攻撃を受けた。1機に対し損傷を与えたものの、5回目の攻撃による至近弾の爆発と破片により、艦は電力系に重大な損傷を負った。乗員も5人が負傷し、うち1名は2日後に死亡した。これによりフネステズ沖で停止して、新たな命令を待つこととなった。この戦闘は、直撃弾を受けなかったにもかかわらず電力系に大きな損傷を負うなど、経空脅威を考慮して設計されていなかった艦の脆弱性を示す結果となった。 その後ニールス・ユールには待機命令が与えられたものの、接収を免れるために脱出を断念し、座礁及びその後の自爆を試みた。ニュクービン・シェラン南岸に乗り上げて座礁には成功したが、その後の起爆には失敗した。艤装品の多くを投棄することには成功したものの、翌日、艦体はドイツ軍により接収された。 サファリ作戦時にドイツ軍機の空襲を受けるニールス・ユール バングスボー要塞で要塞砲として使用されていた15cm砲 迷彩が施されている15cm砲 迷彩が施されていない15cm砲 バングスボー要塞内部から見た15cm砲 バングスボー要塞にて屋外展示されている15cm砲
※この「イス・フィヨルドの戦い」の解説は、「ニールス・ユール (海防戦艦)」の解説の一部です。
「イス・フィヨルドの戦い」を含む「ニールス・ユール (海防戦艦)」の記事については、「ニールス・ユール (海防戦艦)」の概要を参照ください。
- イス・フィヨルドの戦いのページへのリンク