イギリス領東フロリダ捕獲の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/05 08:54 UTC 版)
「南部戦線 (アメリカ独立戦争)」の記事における「イギリス領東フロリダ捕獲の失敗」の解説
1776年初期にジョージア植民地の総督が追放され、その帰結としてライスボートの戦いでサバンナ川にいたイギリスの艦隊がジョージアとサウスカロライナから追い出された。その後大陸軍側はイギリス領東フロリダにあるセントオーガスティンのイギリス守備隊を何度か破ろうと試みた。そこの守備隊はジョージアなどの南部植民地からそこに逃れてきたロイヤリストの活動を積極的に支援し、ジョージア南部の牛など物資を求めて襲撃してくる部隊でもあった。最初の試みはチャールズ・リーが大陸軍南部方面軍の指揮官になった後で行われたが、リーが大陸軍主力に呼び戻されたために失速した。2度目の試みは1777年にジョージア邦知事のバトン・グインネットが企画し、南部方面軍の新しい指揮官ロバート・ハウの最小の支援のもとに行われた。この遠征はグインネットとその軍事指揮官であるラックラン・マッキントッシュが何事にも合意できなかったために失敗した。ジョージア民兵の数個中隊が実際に東フロリダに侵入したが、5月のトマスクリークの戦いで撃退された。最後の遠征は1778年初期のことだった。2,000名以上の大陸軍と民兵隊がそのために編成されたが、このときもハウとジョージア邦知事のジョン・ハウストンの間の指揮権を巡る諍いで失敗した。6月下旬にイギリス軍と愛国者部隊の間にアリゲーターブリッジで簡単な小競り合いがあったが、その結果フロリダはイギリスの固い地盤のままになった。
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