イギリスへの転居からスーダン代表へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 09:27 UTC 版)
「ヤミレ・アルダマ」の記事における「イギリスへの転居からスーダン代表へ」の解説
2001年、アルダマはスコットランド人のテレビプロデューサーアンドリュー・ドッズ(Andrew Dodds)と結婚し、イギリスへ引っ越した。結婚に続き、アルダマはイギリスの市民権の申請を行った。しかしその直後、夫が4000万ポンド相当のヘロインの闇取引により15年の刑を言い渡された。アルダマ自身はこの取引に関与しておらず、夫とともにイギリスにとどまることを決意した。結婚以前にアルダマはイギリスへの居住経験がなかったので、イギリスのパスポートを取得するためには最低3年間イギリスに住む必要があった。アルダマは2004年アテネオリンピックにイギリス代表として出場する決意を表明し、デビッド・ムーアクロフトが支持した。このため、2003年の世界選手権には出場しなかった。 ところが2004年になって、イギリスのパスポート発給機関はアルダマのパスポート発行を拒否した。アルダマが2001年11月にイギリスへ移ったことから、オリンピック終了後の2004年11月まではパスポートの発行対象とならないと判断したのである。そこでアルダマはオリンピックに出場するために新しい国を探し始め、スペイン・イタリア・チェコからの申し出を受けた後、スーダンを選択した。 2004年1月23日にスーダンの市民権を取得した後、スーダン代表としてオリンピックに出場、5位に入賞した。同年中に15m28をマークして三段跳のスーダン記録を塗り替えた。2005年の世界選手権では4位、2007年と2009年の世界選手権は予選落ち、北京オリンピックも記録なしで予選落ちした。
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