イギリスへの帰国とオルタナティブ・ラジオ:1978年–1982年
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「バスター (バンド)」の記事における「イギリスへの帰国とオルタナティブ・ラジオ:1978年–1982年」の解説
1978年1月、バンドはイギリスに帰国した。彼らがこの時点で、海外でヒット曲5曲、ベストセラーとなったアルバム3枚を出しており、期待は高かったが、ティーンエイジ色が強かったバスターのイメージは、時流に合わないものになっており、1979年にはRCAとの契約も解消された。 新しく交代したマネージャーは、バンドの名を「ザ・ジャックス (The Jax)」と変えることを提案した。1980年には小さなインディ・レーベル(英語版)のクレオール・レコード(英語版)から、この名義で、デイヴ・クラーク・ファイヴがオリジナルの「ビッツ&ピーセズ (Bits and Pieces)」をカバーしたシングルを1枚出した。しかし、このシングルはまったく反響を呼ばず、バンドはこのマネージャーと離れ、再編成されることになった。 ロブ・フェナーは、弟アラン (Alan) と一緒に曲作りを始め、地元の海賊放送だったマージーサイド・オルタナティブ・ラジオ (Merseyland Alternative Radio, MAR) で、自分たちのデモテープを流してもらった。また兄弟2人はデュオを組み、地元のパブやナイトクラブで、ロブ・アンド・アラン・フェナー (Rob and Alan Fennah) として演奏した。ピート・レイは、スタジオでの録音に集中するため、バンドを離れた。 1981年には、バスターのオリジナル・メンバーのうちフェナー、ブライアンズ、ロバーツの3人がオルタナティブ・ラジオ (Alternative Radio) 名義で活動した。このバンドは、1982年にリヴァプールの「バトル・オブ・ザ・バンズ (Battle of the Bands)」に参加して優勝した。しかし、一年ほどの間にメンバー構成は変わり、バスターのオリジナル・メンバーはフェナーとロバーツの2人しか残らない状況となり、1982年10月にバスターは正式に解散した。オルタナティブ・ラジオ (Alternative Radio) は1984年、フェナー兄弟(ロブとアラン)で再出発することになった(主要音楽配信サイトにて提供中/Alternative Radio-YouTube)。
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