アルピニストの象徴として、鑑賞の対象として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 09:30 UTC 版)
「ピッケル」の記事における「アルピニストの象徴として、鑑賞の対象として」の解説
ピッケルは数ある登山道具の中でも、古くからアルピニストの象徴とされてきた。山岳会や登山部のバッジなどにはたいてい意匠として使われているし、シャモニー、ツェルマット、グリンデルヴァルト等登山基地の町で墓地を訪ねるとアルピニストの墓石にはピッケルを象った彫刻がしてあったり、遺愛のピッケルそのものがはめ込まれていたりする。 日本においては小島烏水が岳人にとってのピッケルを武士にとっての日本刀に投影し、その影響の大きさから、不必要な人も実用的装備としてではなく装飾品なり愛玩物として購入するようになった。 好日山荘の創始者の一人西岡一雄はグリンデルヴァルトのシェンク(Chr. Schenk, Grindelwald)、テッシュ(Täsch)のウィリッシュを両大関と称し、シェンクを「優美鋭俊」、ウィリッシュを「剛快」と絶賛、その他にも「女性的なエルクでも、優美なベントでも、凄艶なビヨルンスタットでも、豪宕なウィリッシュでも、とりどりの風格、気品というものがある」とし、シモンを「二流品」、ヘルマン・ブールがナンガ・パルバット登頂に使用したアッシェンブレンナーを「やくざ物」と断じる等実践的な登攀具としてではなく鑑賞の対象としている。 第二次世界大戦中は気軽に登山できる状況ではなくなったが、戦地に赴く若者の中には自らのピッケルを後輩に託し生きて帰るまで「預かってくれるよう」言い残し二度と帰らなかった岳人も多かった。
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