アメリカ合衆国におけるマシーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 14:17 UTC 版)
「マシーン (政治)」の記事における「アメリカ合衆国におけるマシーン」の解説
19世紀後期から20世紀前期のアメリカでは、ボストン、シカゴ、クリーブランド、ニューヨーク、フィラデルフィアといった大都市は軒並みマシーンを有していた。ニューヨークの「タマニー・ホール」(Tammany Hall)、シカゴの「クック郡民主党組織」(Cook County Democratic Organization、またはシカゴ民主党マシーン Chicago Democratic machine とも)はマシーンの中でも典型的なものである。マシーンのボスは忠実な政治家たちを従えており、指図ひとつであらゆる便宜を図ることができた。 19世紀における移民たちはアメリカ独特の市民社会になじめないことが多く、マシーンの多くはこういった移民たちに便宜を図るために形成された。移民たちは票と引き換えに仕事の口や、裁判官、警察官、検察官等の公権力者による好意的取扱いを得た。マシーン関係者の最大の仕事は選挙に勝つことであり、具体的には投票日における大量動員である。自治体選挙においては時に不正も行われた(州選挙や大統領選挙では稀だとされる)。 マグワンプ(Mugwump、1884年の大統領選挙で民主党クリーブランド候補を支持した共和党員たち)のような市民主義者たちはマシーンを批判した。セオドア・ルーズベルト時代までの"進歩の時代"に、全国レベルの行政改革が行われ、多くの地域的利権システムが収公された。1930年代には雇用促進局 (WPA) が多くの雇用利権を連邦政府に回収した。ニューディール下においてマシーンはWPAや市民保全部隊 (CCC) にたいする口入れが認められたが、1943年の両局の廃止によりマシーンの利権も消滅した。貧しかった移民たちも社会に同化し裕福になり、マシーンの不正規または脱法的な援助は必要としなくなっていた。1940年代においては大都市のマシーンは軒並み崩壊したが、有名なシカゴのマシーンはなお健在であった。テネシー州のマシーンは市民の武力蜂起によって排除された(アセンズの戦い)。
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