アイルランドの王領地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/07 13:50 UTC 版)
「クラウン・エステート」の記事における「アイルランドの王領地」の解説
1793年、ジョージ3世は、そのアイルランドにおける世襲収益を委譲し、アイルランドの市民政府の諸費用から、王室費年金の支払を受けることになった。 スコットランド同様、アイルランドの王領地は、封建的義務に基づく支払、城砦建設のため取得した土地、没収地(特に1688年以降)といった諸々のものから成り立っていた。1830年初頭、クラウン・エステートは、原賃貸借契約の賃借人が心神喪失状態になったことに伴ってバリーキルクラインの土地の占有を再び開始した。当該土地を占拠していた転借人の賃料不払が7年に及んだことから、1846年にバリーキルクラインの土地からの「排除」、その土地に居住していた人間を新天地へと移住させるという措置がとられた。クラウン・エステートについては、生活困窮者を雇用し、排水等の仕事に当たらせるという公共事業計画があったことを示す資料が残っている。1854年、貴族院特別委員会は、アイルランドに所在する狭小地を売却する決定をした。これに従って、7000エーカー(2800ヘクタール)の土地が、競売を通じておよそ2万5000ポンド(現在の211万6215ポンド相当)、直接取引を通じて1万ポンド(現在の84万6486ポンド相当)で売却され、アイルランドにおける大規模な資産の処分及び、グレート・ブリテンへの再投資が実施された。 1923年4月1日以降、アイルランド自由国に関しては、アイルランド政府が、アイルランドの土地の収益及び管理を行っている。アイルランド自由国に対する譲渡時において免役地代は総額2万3418ポンド(現在の120万4548ポンド相当)、不動産の賃料1191ポンド(現在の6万1261ポンド相当)であった。譲渡の対象となった不動産は、主として海岸地帯であった。
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