なぜ176年も眠ったのか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/29 08:45 UTC 版)
「ドン・ジュアン (戯曲)」の記事における「なぜ176年も眠ったのか?」の解説
観客の反応が良かったにも関わらず、激しい非難によってわずか15回で上演を取りやめたことは先述した。しかしそれだけでなく、モリエールの生存中には2度と上演・出版されなかった上、1682年にラ・グランジュによって刊行された、初のモリエール全集でも当局から大幅な削除を命じられた。この結果、誰の手も加えられていない、モリエールの書いたそのままの『ドン・ジュアン』は忘れ去られ、上演中止の1665年から1841年に舞台で上演されるまで、実に176年間眠り続けた。たまたま初演の脚本がアムステルダムで出版されて遺っていたため、永久に忘れ去られずに済んだのである。聖体秘蹟協会を中心とする狂信者たちの激烈な反発を受けた『タルチュフ』でさえ、上演が禁止されてから5年で再開許可が出ているのに対して、本作は異常なほどに厳しい運命を辿っている。 本作は、その扱っているテーマの発生過程も関係してバロック劇の色彩が強いが、それでも完全な喜劇である。しかし、本作には『タルチュフ』上演禁止措置を受けたモリエールが激しい怒りを込めて、宗教的偽善を暴くために様々な仕掛けが張り巡らされている。すでに聖職者や狂信者たちは、本作が公開される前から怒りで燃え上がっていたのに、そんなことをすれば油を注ぐ結果になるのは火を見るよりも明らかであった。ところで、モリエール以前にフランスで公開された作品が問題にならず、なぜ本作品だけが問題になったのか、本項ではこの件について扱う。
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