ため池群
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天然の池沼が、数多く存在する南大東島に対して、北大東島にはそれほど多くない。島の中央には淡水の大池があり、淡水レンズの作用により、潮の干満に伴って水位が変動する。この池は、かつて雨水のみを水源としていた時代には貴重な水源であったが、海水淡水化による水道が整備されたため、現在は農業用水以外には使われていない。 このほか、沖縄県の最東端に位置する東貯水池をはじめ、製糖工場の前にある赤池等の農業用ため池があり、274ha(島の耕地面積の5割)のサトウキビ畑の灌漑に使用されている。 北大東島にある大小16ヶ所に点在するため池は、2010年(平成22年)3月25日に「北大東村ため池群」として農林水産省のため池百選に選定された。 これらのため池は、ミサゴ、トビ、サシバ、サギなど渡り鳥が羽を休める位置であり、野鳥観察の適地となっている。毎年サトウキビの日(4月第4日曜日)には、子供会と保護者、島民が周辺の整備を行っている。
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ため池群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 00:42 UTC 版)
かつては姫路藩の狩場で、姫路藩主酒井忠学の家老・河合道臣が田原・亀坪谷に溜池を構築して、田原・船津の一部分を開拓したが再度の災害で崩壊し放置された。丘陵の麓も河岸段丘なため十分な水利権が得られず、畑作や放牧が行われていた。明治時代に、西光寺野に灌漑用水を引くため調査された結果、水源を保喜山を隔てた北方の神崎郡瀬加村(現市川町)の岡部川より取水し、1910年(明治43年)に水利組合設立、翌年耕地整理組合を設立し11月に着工、1914年(大正3年)に疏水が「長池」まで完成し通水され完成した。、総延長8.8㎞、幅1.2~1.5用水路やの隧道8ケ所水路橋5ケ所の疏水が造られや、桜池、長池、西ヶ首池、奥池、釜ヶ尾池、焼野池等の大小のため池の整備を行い、これらの施設により200万m3を超える貯水量で、300ha以上の台地の灌漑を行っている。 2010年(平成22年)3月25日に西光寺野台地のため池群として農林水産省のため池百選に選定された。
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