それぞれの戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:08 UTC 版)
11日、新政府軍は駒ヶ嶺の攻略に乗り出す。新政府軍の目指すところは駒ヶ嶺を抜けて北2.5kmにある新地であり、そのために駒ヶ嶺に砲撃可能な椎木の高台へ各藩の砲兵を集結させ、長州藩の1中隊と熊本藩が頃合を見て駒ヶ嶺へ進出する構えだった。また、駒ヶ嶺東の海岸沿い(原釜-今神-今泉)に福岡藩、鳥取藩を配置し、駒ヶ嶺西の2.5kmの菅谷には徴兵隊と久留米藩を配して三方から攻めあがる戦略を立てていた。仙台藩の防衛線の疲弊を新政府軍は企図していた。中村藩兵は先導役として1小隊ずつそれぞれ3隊に配置され、今回も対仙台藩の先頭に立つことになる。予想される旗巻峠方面からの敵増援に対しては、黒木へ至る間道に中村藩、広島藩、津藩、長州藩から部隊を引き抜き、その動きを塞ぐ形になっていた。 仙台藩は目前に展開した新政府軍に合わせて海岸沿いの今泉、駒ヶ嶺、菅谷、そして駒ヶ嶺と菅谷の中間にある曹善堂に陣を構えて新政府軍を待ち受けていた。仙台藩はこれまでの経験から戦術を検討し、胸壁を設置し、浅く塹壕を掘っていた。だが、曹善堂への兵の配置はやや手薄になっており、仙台からの増援を待ちつつ防衛線を構築しようとしていた。
※この「それぞれの戦略」の解説は、「旗巻峠の戦い」の解説の一部です。
「それぞれの戦略」を含む「旗巻峠の戦い」の記事については、「旗巻峠の戦い」の概要を参照ください。
それぞれの戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:08 UTC 版)
駒ヶ嶺を失った仙台藩は駒ヶ嶺北の坂元に集結していたが、駒ヶ嶺を新政府の手から取り戻すべく、奪還のための出兵を軍議において決定する。旧幕軍の春日左衛門の指揮する陸軍隊6小隊も加わり、約3,000名となった仙台藩の戦力は3隊に分けられた。駒ヶ嶺、曹善堂、今泉を同時に攻めて新政府軍を釘付けにした上に、旗巻峠の鮎貝太郎平の兵を動かして駒ヶ嶺の後方から新政府軍拠点の相馬中村城へ攻め込むという戦略を意図していた。攻勢の開始は、部隊編成が整う16日と定められた。 新政府軍総督の四条は仙台追討総督の役目をもって仙台藩と交戦していたが、13日に大総督府から「奥羽追討平潟口総督」という新たな役目を受けた。これは仙台藩のみならず、奥羽越列藩同盟を戦略目標とする方針転換であった。大総督府はその役目を果たせるように全20回、総勢10,000名におよぶ大規模な兵力増強を決定したが、この時期はいずれも編成途中であり、新政府軍は現有戦力のまま仙台藩の攻勢を迎え撃つこととなった。
※この「それぞれの戦略」の解説は、「旗巻峠の戦い」の解説の一部です。
「それぞれの戦略」を含む「旗巻峠の戦い」の記事については、「旗巻峠の戦い」の概要を参照ください。
- それぞれの戦略のページへのリンク