その後のファインアート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 01:23 UTC 版)
「ファインアート」の記事における「その後のファインアート」の解説
社会の変化を反映してダダイスム運動がファインアートの内部から起こる。マルセル・デュシャンが1917年にニューヨークの「アンデパンダン展」に偽名で男性用小便器をほとんど加工なく『泉』と題して出展した事件がダダイスム芸術の例として有名である。これは反芸術ともいわれる。音楽においては、1952年にジョン・ケージによる終始無音の『4分33秒』が「演奏」されている。これはネオダダとリンクした作品とされる。 20世紀後半になって、とくにアメリカ合衆国の経済的繁栄、大量消費社会を背景に大衆文化が盛んになると、それを取り入れたポップアート(アメリカン・ポップ)が登場する。1950年代にジャスパー・ジョーンズは星条旗を油彩で描き、ロイ・リキテンスタインは1960年代に、新聞の連載漫画の1コマを、印刷インクのドットまで含めてキャンヴァスに拡大して描いた。アンディー・ウォーホルは同じころ、シルクスクリーンによる版画を好み、マリリン・モンローの顔写真などを題材にした。 現代では版画や写真、映像もファインアートの一分野と認識されるようになっている。また、ニューヨーク近代美術館やフランス国立近代美術館が工業デザインも扱うなどの動きがある。1864年に設立された、オーストリア王立美術工業博物館は、1986年に応用美術と現代美術を共に扱うMAK(Osterreichisches Museum für Angewandte Kunst、オーストリア国立工芸美術館)として再出発した。
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