『隋書』百済伝とは? わかりやすく解説

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『隋書』百済伝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:42 UTC 版)

温祚王」の記事における「『隋書』百済伝」の解説

百済祖先高麗国高句麗)から出た(以下、扶余建国神話である東明伝説要約したと見られる記事が続く。東明伝説については「東明聖王#夫余の建国伝説との比較」を参照)。東明の後に仇台きゅうだいクデ)という慈悲深い人が現れた。初めは国を帯方郡故地建てたが、後漢遼東太守公孫度が娘を嫁がせ、東夷強国となった百家とともに海を渡ったのに因んで百済」と号した(初以百家濟海,因號百濟)。 『三国史記』百済本紀分注では、上掲の「沸流始祖とする伝説」に続けて『北史』『隋書』に、東明の後に仇台あり…東夷強国となった」と記され、かつ、「未知孰是」(ある本の伝えるのと、『北史』『隋書』伝えるのとどちらが正しいのか分からないということばで分注締めくくっている。 『隋書』656年)よりわずかに早く編纂された『周書』(636年)には、「百済祖先は恐らく馬韓属国であり、夫余別種である。仇台きゅうだいクデ)というものがあって、帯方郡の地に国を興した」とある。また、風俗記して毎年四回、始祖である仇台の廟を祭る」ともしており、この祖先祭祀記事は『隋書』百済伝にも受け継がれている。井上訳注本では、『三国志』夫余伝の「漢末に公孫度勢力増したとき、夫余王の慰仇台(いきゅうだい、ウィクデ)が遼東郡服属した。公孫度高句麗鮮卑牽制するために一族の娘を夫余王の妻とした」と言う記事を、『隋書』誤って百済記事混同させたものとする。(→井上訳注1983

※この「『隋書』百済伝」の解説は、「温祚王」の解説の一部です。
「『隋書』百済伝」を含む「温祚王」の記事については、「温祚王」の概要を参照ください。

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