『シベリア抑留資料等引き揚げの記録』と世界記憶遺産
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2015年10月10日未明に文部科学省が発表したところによると、歴史的に貴重な文書や絵画などを対象としたユネスコ(国連教育科学文化機構)の「世界記憶遺産」に、「舞鶴への生還1945-1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」が登録された。 シベリアに抑留された後、舞鶴港に引き揚げた抑留者らの570点にものぼる記録であり、抑留生活の様子を約200首の和歌にしたため白樺の樹皮につづった「白樺日誌」や、靴の中に隠して持ち帰ったメモ帳などが含まれ、すべて京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館(1988年開館)に所蔵されている。その中には、大阪府門真市の坂井仁一郎(故人)が、ラジオのモスクワ放送で流されていた抑留者の情報を聞き取り、日本で待つ家族に伝えた葉書やそれへの礼状なども含まれる。 舞鶴港は戦後、引き揚げ者の約1割の約66万人が上陸した港であり、舞鶴市は1961年、シベリア抑留者が引き揚げ船に乗船したソ連(当時)のナホトカ市と姉妹都市協定を結び(これは日ソ間での最初の姉妹都市協定である)、各種訪問団の相互派遣などで交流を深めてきた。記憶遺産への申請は舞鶴市であり、この申請にあたっても市職員がナホトカ市を訪問して説明をするなどした。同市では一時は共同申請をする案も出るほどの理解があったという。登録の3年前は、同記念館に膨大な資料が未整理のまま眠っていた。登録へ導いた立役者の一人である同記念館学芸員の長嶺睦は、「630万人が引き揚げた壮大な出来事が日本の歴史から消えようとしている。きちんと公開し、調査研究に結びつけたい」と当時の感想を語った。また同記念館への資料寄贈者である木内信夫、安田清一は日本初の生存作家となった。
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