『シベリア抑留資料等引き揚げの記録』と世界記憶遺産とは? わかりやすく解説

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『シベリア抑留資料等引き揚げの記録』と世界記憶遺産

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 13:57 UTC 版)

引き揚げ」の記事における「『シベリア抑留資料等引き揚げの記録』と世界記憶遺産」の解説

2015年10月10日未明文部科学省発表したところによると、歴史的に貴重な文書絵画などを対象としたユネスコ国連教育科学文化機構)の「世界記憶遺産」に、「舞鶴への生還1945-1956シベリア抑留日本人本国への引き揚げ記録」が登録された。 シベリア抑留された後、舞鶴港引き揚げ抑留者らの570点にものぼる記録であり、抑留生活様子を約200首の和歌したため白樺樹皮つづった白樺日誌」や、靴の中に隠して持ち帰ったメモ帳などが含まれ、すべて京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館1988年開館)に所蔵されている。その中には大阪府門真市坂井一郎故人)が、ラジオモスクワ放送流されていた抑留者の情報聞き取り日本で待つ家族伝えた葉書やそれへの礼状なども含まれる舞鶴港戦後引き揚げ者の約1割の約66万人上陸した港であり、舞鶴市1961年シベリア抑留者が引き揚げ船乗船したソ連当時)のナホトカ市と姉妹都市協定を結び(これは日ソ間での最初姉妹都市協定である)、各種訪問団の相互派遣などで交流深めてきた。記憶遺産への申請舞鶴市であり、この申請にあたって市職員ナホトカ市を訪問して説明をするなどした。同市では一時共同申請をする案も出るほどの理解があったという。登録の3年前は、同記念館に膨大な資料未整理のまま眠っていた。登録へ導いた立役者一人である同記念学芸員長嶺睦は、「630万人引き揚げ壮大な出来事日本の歴史から消えようとしている。きちんと公開し調査研究に結びつけたい」と当時感想語った。また同記念館への資料寄贈者である木内信夫安田清一日本初生存作家となった

※この「『シベリア抑留資料等引き揚げの記録』と世界記憶遺産」の解説は、「引き揚げ」の解説の一部です。
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