「小田原三茶人」の由来
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「小田原三茶人」の記事における「「小田原三茶人」の由来」の解説
「小田原三茶人」の名称の初出は、1988年(昭和63年)5月21日から6月5日まで、小田原市郷土文化館が分館 松永記念館で開催した特別展「近代小田原三茶人展―鈍翁・幻庵・耳庵とその周辺―」である。特に「近代」を付記したのは、後北条氏の治世に茶の湯が盛んだった時代があり、しかも幻庵についてはやはり茶人だった北条幻庵と区別するためである。この特別展は、1986年(昭和61年)に松永記念館敷地内に幻庵の茶室「葉雨庵」が移設されたのを契機として、幻庵・耳庵と、二人に先駆けて小田原板橋に住み大きな影響を与えた鈍翁をあわせて顕彰した展示である。 それ以前は時代の重なる鈍翁・幻庵に、安閑草舎の隣に「三樹荘」を営んでいた貴族院議員 室田義文(頑翁)を加えて「小田原の名物三老」としたことがあったが、あまり一般的には広まらなかった。また、近代茶道の偉人の中から、鈍翁・耳庵・原三渓を「近代三茶人」とすることがある。 いずれにしても「三茶人」とは茶道・茶人としての功績を称える意味である。一方、三者とも明治以降の経済界の大物であり、隠居の身でありながら財界・政界の者たちが小田原に通ったことから、社交としての茶道という側面を知る上でも重要な人物である。
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