1959年アメリカグランプリ 結果

1959年アメリカグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/18 08:45 UTC 版)

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 7 スターリング・モス クーパー-クライマックス 3:00.0
2 8 ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 3:03.0 + 3.0
3 19 ハリー・シェル クーパー-クライマックス 3:05.2 + 5.2
4 2 トニー・ブルックス フェラーリ 3:05.9 + 5.9
5 6 モーリス・トランティニアン クーパー-クライマックス 3:06.0 + 6.0
6 4 ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 3:06.2 + 6.2
7 3 クリフ・アリソン フェラーリ 3:06.9 + 6.9
8 5 フィル・ヒル フェラーリ 3:07.2 + 7.2
9 10 イネス・アイルランド ロータス-クライマックス 3:08.2 + 8.2
10 9 ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 3:08.6 + 8.6
11 12 ロイ・サルヴァドーリ クーパー-マセラティ 3:12.0 + 12.0
12 11 アラン・ステイシー ロータス-クライマックス 3:13.8 + 13.8
13 18 ボブ・セッド コンノート-アルタ 3:27.3 + 27.3
14 14 アレハンドロ・デ・トマソ クーパー-オスカ 3:28.0 + 28.0
15 16 ジョージ・コンスタンチン クーパー-クライマックス 3:30.6 + 30.6
16 17 ハリー・ブランチャード ポルシェ 3:32.7 + 32.7
17 15 フリッツ・ドーリー テック=メック-マセラティ 3:33.4 + 33.4
18 22 フィル・ケード マセラティ 3:39.0 + 39.0
19 1 ロジャー・ワード カーティス・クラフト-オッフェンハウザー 3:43.8 + 43.8
ソース:[13]

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 9 ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 42 2:12:35.7 10 8
2 6 モーリス・トランティニアン クーパー-クライマックス 42 + 0.6 5 7 1
3 2 トニー・ブルックス フェラーリ 42 + 3:00.9 4 4
4 8 ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 42 + 4:57.3 2 3
5 10 イネス・アイルランド ロータス-クライマックス 39 + 3 Laps 9 2
6 4 ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 38 + 4 Laps 6
7 17 ハリー・ブランチャード ポルシェ 38 + 4 Laps 16
Ret 3 クリフ・アリソン フェラーリ 23 クラッチ 7
Ret 12 ロイ・サルヴァドーリ クーパー-マセラティ 23 トランスミッション 11
Ret 1 ロジャー・ワード カーティス・クラフト-オッフェンハウザー 20 クラッチ 19
Ret 14 アレハンドロ・デ・トマソ クーパー-オスカ 13 ブレーキ 14
Ret 5 フィル・ヒル フェラーリ 8 クラッチ 8
Ret 15 フリッツ・ドーリー テック=メック-マセラティ 6 オイル漏れ 17
Ret 7 スターリング・モス クーパー-クライマックス 5 トランスミッション 1
Ret 19 ハリー・シェル クーパー-クライマックス 5 クラッチ 3
Ret 16 ジョージ・コンスタンチン クーパー-クライマックス 5 オーバーヒート 15
Ret 11 アラン・ステイシー ロータス-クライマックス 2 クラッチ 12
Ret 18 ボブ・セッド コンノート-アルタ 0 アクシデント 13
DNS 22 フィル・ケード マセラティ エンジン 18
ソース:[14]
追記

  1. ^ アメリカでのF1世界選手権レースとして初年度の1950年からインディ500が組み込まれていたが、これはFIAが北米大陸の一戦も選手権に含めようとしたためで、実際にはF1とインディの交流はほとんどなく形式的なものとなっていた。本年からアメリカGPが開催されるようになり、翌1960年をもってインディ500は選手権から除外された。 (林信次 1999, p. 83)
  2. ^ 当時はファステストラップ獲得者に1点が与えられていた。
  3. ^ 当レースのグリッドは3-2-3。
  4. ^ a b (林信次 1999, p. 74-75)
  5. ^ (林信次 1999, p. 78)
  6. ^ ただし、インディ500を含めると1952年にトロイ・ラットマンが22歳80日で最年少となる。
  7. ^ a b (林信次 1999, p. 83)
  8. ^ (林信次 1999, p. 83,89)
  9. ^ (林信次 1999, p. 88)
  10. ^ (林信次 1999, p. 89)
  11. ^ Engine OSCA”. statsf1.com. 2018年3月11日閲覧。
  12. ^ USA 1959 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年3月11日閲覧。
  13. ^ USA 1959 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年3月11日閲覧。
  14. ^ 1959 United States Grand Prix”. formula1.com. 2014年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月16日閲覧。


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