十字軍 イスラム側の認識

十字軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 22:13 UTC 版)

イスラム側の認識

「十字軍」はキリスト教側の呼称であり、イスラム教徒側は「フランク」の侵攻と認識していた。

イスラム教徒の支配する中東は、中小の豪族が群雄割拠しており、互いに利害は一致しなかった。このことが、緒戦で数に劣る十字軍への敗退が相次いだ原因だった。イスラム教徒の反撃の端緒とされるザンギーヌールッディーンは大義名分として、イスラム教勢力の統一とキリスト教徒撃退を挙げるようになるが、主要な敵はなお他のイスラム地方政権だった。イスラムの聖戦との認識が広まってきたのは、サラーフッディーンがイスラム勢力をほぼ統一し、エルサレムを陥落させる前後からで、第3回十字軍との戦いを通して確立されていったが、その後も、第6回十字軍の時のように、状況によってはキリスト教徒と妥協や共存することに抵抗を持っていなかった。

2017年現在でも十字軍はイスラーム過激派からは目の敵とされているという意見はある[33]

その後

1291年に全てのパレスチナがイスラム勢力下に入った後も小規模な遠征の事例があり、十字軍の名が冠されているものの(1308年ロドス十字軍1343年~1351年スミルナ十字軍1344年キプロス十字軍、1365年サヴォイ伯十字軍1440年ヴァルナ十字軍など)、本来の十字軍とは区別されている。その後、1453年オスマン帝国の台頭によって東ローマ帝国が滅ぼされると、ローマ教皇ピウス2世は熱心に十字軍を提唱し(1459年1463年)、応じる国は少なかったが、1464年には教皇自ら十字軍の出発地とされたアンコーナに赴いている。この地で教皇が逝去したため、直ちに遠征は中止された。

1683年第二次ウィーン包囲失敗によるオスマン帝国の敗走によってローマ教皇インノケンティウス11世はオーストリア、ポーランドロシアヴェネツィア神聖同盟を持ちかけている(後に大トルコ戦争に発展)。これは十字軍の名で語られていないが、意図するものがあった可能性がある。

脚注


  1. ^ 野澤武史 著、全国歴史教育研究協議会 編『世界史用語集』山川出版社、2020年12月15日、98頁。ISBN 978-4-634-03304-7 
  2. ^ 木村靖二 岸本美緒 小松久男(ほか6名)『詳説世界史』(改訂版)山川出版社、2022年3月5日、138頁。ISBN 978-4-634-70034-5 
  3. ^ 八塚春児『十字軍という聖戦』(NHKブックス1105、2008年)p.29。八塚はp.14-18で、「十字軍」という訳語は西周による造語ではないかと推定している。
  4. ^ 山内 1997, pp. 64-65.
  5. ^ 「図説 十字軍」p24-28 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  6. ^ 山内 1997, pp. 69-71.
  7. ^ 井上 2008, p. 229.
  8. ^ 堀越 2006, pp. 344-345.
  9. ^ Burgturf, Jochen. "Crusade of 1239–1241". The Crusades: An Encyclopedia. pp. 309-311.
  10. ^ Painter, Sidney (1977). "The Crusade of Theobald of Champagne and Richard of Cornwall, 1239-1241.". In Setton, K., A History of the Crusades: Volume II. pp. 463-486.
  11. ^ Hendrickx, Benjamin. "Baldwin II of Constantinople". The Crusades: An Encyclopedia. pp. 133–135.
  12. ^ Runciman 1954, pp. 205–220, Legalized Anarchy.
  13. ^ Jackson, Peter. "The Crusades of 1239–1241 and Their Aftermath". Bulletin of the School of Oriental and African Studies, Vol. 50, No. 1 (1987). pp. 32–60. JSTOR 61689.
  14. ^ Gibb 1969, pp. 703–709, The Ayyubids from 1229–1244.
  15. ^ Burgturf, Jochen. "Gaza, Battle of (1239)". The Crusades: An Encyclopedia. pp. 498–499.
  16. ^ Tyerman 2006, pp. 755–780, The Crusades of 1239–1241.
  17. ^ Tyerman 1996, pp. 101–107, The Crusade of Richard of Cornwall.
  18. ^ Richard 1999, pp. 319–324, The Barons' Crusade.
  19. ^ J. B. Bury (1911). "Baldwin II (emperor of Romania)" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica. 3. (11th ed.). Cambridge University Press. p. 867.
  20. ^ Asbridge 2012, pp. 574–576, The Bane of Palestine.
  21. ^ 「図説 十字軍」p79-80 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  22. ^ 「図説 十字軍」p84 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  23. ^ 『名画で読み解く「世界史」』祝田秀全(監修)、世界文化社、2013年、52頁。ISBN 978-4-418-13225-6 
  24. ^ 「図説 十字軍」p87-88 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  25. ^ 堀越 2006, p. 240.
  26. ^ 山内 1997, pp. 78-79.
  27. ^ パーシー 2001, p. 78.
  28. ^ 石坂ら 1980, p. 23.
  29. ^ バッシュビッツ 1970, pp. 71-72.
    調査結果は Palmer A. Throop. 'Criticism of the Crusade'(『十字軍批判』), Amsterdam O. J.による。
  30. ^ 新人物往来社編 2011, pp. 42-45.
  31. ^ 「図説 十字軍」p36-37 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  32. ^ 笈川 2010, p. 145.
  33. ^ ISISがバチカンを襲うのは時間の問題だ”. ニューズウィーク日本語版 (2017年8月28日). 2017年9月20日閲覧。





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