十字軍 軍制と文化

十字軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 22:13 UTC 版)

軍制と文化

クラック・デ・シュヴァリエ。聖ヨハネ騎士団によって建設され、当時の十字軍国家最大最強の要塞であった。

平時において十字軍の成果を維持し続けていたのが十字軍国家である。現地において建国された4つの十字軍国家(エルサレム王国トリポリ伯国アンティオキア公国エデッサ伯国)においては、彼らの軍事的根源地である西欧から遠く離れ、イスラム教徒に囲まれた最前線にあることから、強力な軍事力が常に求められた。これらの十字軍国家においては、当初は西欧と同じ封建制による貴族や騎士による軍事制度がしかれたが、第1回十字軍に参加した騎士の多くが帰国するなど当初から軍事力は不十分なものであった。これを補うために西欧からの移民が求められたが、1101年に出発したこの武装移民団は陸路移動の途中でイスラム勢力によって粉砕され、以後も大規模な移民団が来ることはほとんどなく、西欧人、ひいては軍事力の不足状態は続いた。もっとも、巡礼としてやってきた人々が移民としてそのまま居住するようになることは多く、西欧系の住民の補充は続いていた。1120年代からは入植者の増加が始まり、1180年代には十字軍国家におけるヨーロッパ人の人口は10万人から12万人にまで膨れ上がり、ヨーロッパ系の入植新村も建設されるようになった。しかし、それでもヨーロッパ系は全人口の20%程度にとどまり、イスラム教徒と対抗する軍事力の基盤とするには不足であったことに違いはない[30]

これを補うために作り出されたのが騎士修道会(騎士団)であり、1119年に創設されたテンプル騎士団1113年に認可された聖ヨハネ騎士団、そしてそれにやや遅れて1197年に公認されたドイツ騎士団の三大騎士団がエルサレムや十字軍国家内に駐屯し、キリスト教諸国家の防衛に当たった[31]

この地方に土着した貴族たちはイスラムの文化を少しずつ受け入れ、次第にイスラムに融和的な姿勢をとるようになっていった。これに対し、西方から新たに十字軍としてやってきた将兵はイスラムに敵対的な態度をとり、第2回十字軍の時に十字軍国家と同盟関係にあったダマスカスを攻撃するなど現地の事情を理解せずに軍事行動を起こすことも多く[32]、両者は十字軍内でもしばしば対立を起こしている。


  1. ^ 野澤武史 著、全国歴史教育研究協議会 編『世界史用語集』山川出版社、2020年12月15日、98頁。ISBN 978-4-634-03304-7 
  2. ^ 木村靖二 岸本美緒 小松久男(ほか6名)『詳説世界史』(改訂版)山川出版社、2022年3月5日、138頁。ISBN 978-4-634-70034-5 
  3. ^ 八塚春児『十字軍という聖戦』(NHKブックス1105、2008年)p.29。八塚はp.14-18で、「十字軍」という訳語は西周による造語ではないかと推定している。
  4. ^ 山内 1997, pp. 64-65.
  5. ^ 「図説 十字軍」p24-28 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  6. ^ 山内 1997, pp. 69-71.
  7. ^ 井上 2008, p. 229.
  8. ^ 堀越 2006, pp. 344-345.
  9. ^ Burgturf, Jochen. "Crusade of 1239–1241". The Crusades: An Encyclopedia. pp. 309-311.
  10. ^ Painter, Sidney (1977). "The Crusade of Theobald of Champagne and Richard of Cornwall, 1239-1241.". In Setton, K., A History of the Crusades: Volume II. pp. 463-486.
  11. ^ Hendrickx, Benjamin. "Baldwin II of Constantinople". The Crusades: An Encyclopedia. pp. 133–135.
  12. ^ Runciman 1954, pp. 205–220, Legalized Anarchy.
  13. ^ Jackson, Peter. "The Crusades of 1239–1241 and Their Aftermath". Bulletin of the School of Oriental and African Studies, Vol. 50, No. 1 (1987). pp. 32–60. JSTOR 61689.
  14. ^ Gibb 1969, pp. 703–709, The Ayyubids from 1229–1244.
  15. ^ Burgturf, Jochen. "Gaza, Battle of (1239)". The Crusades: An Encyclopedia. pp. 498–499.
  16. ^ Tyerman 2006, pp. 755–780, The Crusades of 1239–1241.
  17. ^ Tyerman 1996, pp. 101–107, The Crusade of Richard of Cornwall.
  18. ^ Richard 1999, pp. 319–324, The Barons' Crusade.
  19. ^ J. B. Bury (1911). "Baldwin II (emperor of Romania)" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica. 3. (11th ed.). Cambridge University Press. p. 867.
  20. ^ Asbridge 2012, pp. 574–576, The Bane of Palestine.
  21. ^ 「図説 十字軍」p79-80 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  22. ^ 「図説 十字軍」p84 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  23. ^ 『名画で読み解く「世界史」』祝田秀全(監修)、世界文化社、2013年、52頁。ISBN 978-4-418-13225-6 
  24. ^ 「図説 十字軍」p87-88 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  25. ^ 堀越 2006, p. 240.
  26. ^ 山内 1997, pp. 78-79.
  27. ^ パーシー 2001, p. 78.
  28. ^ 石坂ら 1980, p. 23.
  29. ^ バッシュビッツ 1970, pp. 71-72.
    調査結果は Palmer A. Throop. 'Criticism of the Crusade'(『十字軍批判』), Amsterdam O. J.による。
  30. ^ 新人物往来社編 2011, pp. 42-45.
  31. ^ 「図説 十字軍」p36-37 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
  32. ^ 笈川 2010, p. 145.
  33. ^ ISISがバチカンを襲うのは時間の問題だ”. ニューズウィーク日本語版 (2017年8月28日). 2017年9月20日閲覧。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「十字軍」の関連用語

十字軍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



十字軍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの十字軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS