十字軍
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十字軍の実態
十字軍はキリスト教圏の諸侯からなる大規模な連合軍であった。宗教的な情熱が強かったはずの第1回十字軍ですら、エデッサ伯国やアンティオキア公国などの領土の確立に走る者が出ており、第4回十字軍に至っては、キリスト教正教会国家である東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(現イスタンブール)を攻め落としてラテン帝国を築くなど、動機の不純さを露呈している。のみならず、同じカトリックの国であるハンガリーまで攻撃し、教皇に破門宣告されている。
そして、イスラム教徒やユダヤ教徒など、異教の者へは虐殺をためらわず、マアッラ攻囲戦では双方の記録で、十字軍による食人が記録されている。またギリシャ正教など、他の宗派に属する者も冷遇した。
元々はエルサレムの回復を目的としていた十字軍であるが、後には、キリスト教徒から見た異教徒やローマ教皇庁から異端とされた教会や地方の討伐軍をも十字軍と呼ばれるようになった。このような例としてはアルビジョア十字軍などが知られており、ヨーロッパにおいても非難されることになる。
ローマ教皇庁は1270年から十字軍についての意見調査を行っている。調査結果にはルイ9世の死は神の意思であるとするものや、不信心者は殺すのではなく改心させるべきとするものなど十字軍に否定的な意見が多数含まれていた。また、犯罪者が刑罰から逃れるために従軍していることから、一般人から十字軍参加者そのものが罪人とみなされていること、名誉を重んじる者が参加したがらないということも明らかにされた。十字軍が同じキリスト教徒に対しても行われたことは悪夢とみなされていた。これらの調査結果を受けてグレゴリウス10世は聖地奪回のための新たな十字軍を計画しなかった[29]。
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- ^ 八塚春児『十字軍という聖戦』(NHKブックス1105、2008年)p.29。八塚はp.14-18で、「十字軍」という訳語は西周による造語ではないかと推定している。
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- ^ 『名画で読み解く「世界史」』祝田秀全(監修)、世界文化社、2013年、52頁。ISBN 978-4-418-13225-6。
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調査結果は Palmer A. Throop. 'Criticism of the Crusade'(『十字軍批判』), Amsterdam O. J.による。 - ^ 新人物往来社編 2011, pp. 42-45.
- ^ 「図説 十字軍」p36-37 河出書房新社 櫻井康人 2019年2月28日初版発行
- ^ 笈川 2010, p. 145.
- ^ “ISISがバチカンを襲うのは時間の問題だ”. ニューズウィーク日本語版 (2017年8月28日). 2017年9月20日閲覧。
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