ギリシャ七賢人 ギリシャ七賢人の概要

ギリシャ七賢人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 13:31 UTC 版)

ギリシャ七賢人(『ニュルンベルク年代記』)
タレスソロン、キロン、ペリアンドロス、クレオブロス、ビアス、ピッタコス
七賢人のモザイク(レバノンバールベック1世紀
中央が女神カリオペー、上から時計回りにソクラテス、キロン、ピッタコス、ペリアンドロス、クレオブロス、ビアス、タレス、ソロン。

概要

七賢人のメンバーについては古代の書物においてまちまちであり、必ずしも統一されていない。また、「七賢人」とあるが、プルタルコスは『デルフォイのΕについて』において本来は5人だったが、2人の僭主も持っていないにもかかわらず権力によってその名を奪い取ったと主張している。また、最初に誰がなぜ賢いと呼んだのかは不明である。

プラトンが『プロタゴラス』の中で挙げたのは次の通りである[1]

しかし、ミュソンを挙げているのはプラトンだけで、大抵はその代わりにコリントスのペリアンドロスが挙げられている。ディオゲネス・ラエルティオスによると、七賢人とされる人には多数の説が存在しており、ディカイアルコスが10人[注釈 1]、ヒッポボトスが12人[注釈 2]、スミュルナのヘルミッポスは17人[注釈 3]を候補として挙げている[2]

七賢人の有名な逸話としては彼らの間で生じた知恵比べがある。海中に沈んでいて、偶然発見された鍛冶の神ヘーパイストスの作った黄金の鼎をめぐってコスとミレトスとの間で戦争が起こった。多くの死者が出たため、彼らはデルフォイで受けた「過去、現在、未来を知ろしめす者」に鼎がたどり着くまでは両国の戦争は終わらないという神託に基づいて賢者として有名だったタレスに鼎を贈ったが、彼は自分にはふさわしくないと他の賢者に譲った。結局鼎は七賢人の間でたらいまわしにされてタレスのもとへ帰ってきた。そこで彼はアポロンに奉納し、神託を伝えるピュティア(巫女)がこの鼎に腰を下ろして神託を語ることになった。

脚注

参考文献

関連項目


  1. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説”. コトバンク. 2018年2月25日閲覧。
  2. ^ 『ギリシア哲学者列伝』1.41-42
  1. ^ より正確には、タレスビアスピッタコスソロンの4人は多くの人により承認されているとしつつ、残りの候補として6人(アリストデモス、パンピュロス、キロンクレオブロス、アナカルシス、ペリアンドロスを挙げる(プラトンと一致している部分には下線を付した)。
  2. ^ オルペウス、リノス、ソロン、ペリアンドロス、アナカルシス、クレオブロスミュソンタレスビアスピッタコス、エピカルモス、ピュタゴラス(プラトンと一致している部分には下線を付した)。
  3. ^ ソロンタレスピッタコスビアスキロンミュソンクレオブロス、ペリアンドロス、アナカルシス、アクシラオス、エピメニデス、レオパントス、ペレキュデス、アリストデモス、ピュタゴラス、ラソス、アナクサゴラス(プラトンと一致している部分には下線を付した)。


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