高滝村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 09:55 UTC 版)
地理
市原郡(郡域はほぼ現在[注釈 1]の市原市と重なる)の南部に位置する村であった[1]。1916年(大正5年)時点では、北は明治村(のちの牛久町)、東は鶴舞町、南は富山村・里見村、西は君津郡馬来田村と接していた[1]。
1916年(大正5年)に編纂された『千葉県市原郡誌』によれば、高滝(たかたき)・養老(ようろう)・本郷(ほんごう)・大和田(おおわだ)・久保(くぼ)・外部田(とべた)・駒込(こまごめ)・山口(やまぐち)・不入(ふにゅう)の9区(いずれも町村制以前の旧村=大字)からなっていた[2]。これらの9つの大字の名称は、現在の市原市の大字として存続している。
歴史
高滝村は、1889年(明治22年)の町村制施行にともない市原郡鶴舞村・田尾村・池和田村・矢田村・下矢田村・山小川村が合併して発足した。「前史」節では、そこに至るまでのこの地域の状況を概説する。町村制以前の各村(各大字)の詳細については、それぞれの項目を参照のこと。
前史
前近代
江戸時代には「高滝郷」という地名で呼ばれた地域の一部である。「高滝」は養老川上流域を指す広域地名で[3]、鎌倉時代の『沙石集』に見られるのが初見であるという[4](高滝 (市原市)#地名参照)。
近世末期には宮原村・加茂村・小佐貫村・北崎村・本郷村・大和田村・久保村・外部田村・駒込村・山口村・不入村の各村があった。
明治初年から町村制施行まで
1875年(明治8年)に小佐貫村・北崎村が合併して養老村が発足し[5]、1876年(明治9年)に宮原村・加茂村が合併して高滝村が発足した[6]。
村史
1889年(明治22年)、町村制施行により、高滝村・養老村・本郷村・大和田村・久保村・外部田村・駒込村・山口村・不入村が合併して「高滝村」が発足した。合併後の新村名については「高滝村」「加茂村」の2案が出て決めかね、郡長の判断を仰ぐ文書も残されているが[7]、合併した諸村のうち高滝村が最も著名であるとの理由で「高滝村」が選ばれた[8][注釈 2]。
1925年(大正14年)、小湊鉄道線の五井駅-里見駅が開通し、高滝駅が開業した(その後、上総久保駅が1933年(昭和8年)に開業)。
1954年(昭和29年)、高滝村は廃止され、富山村・里見村・白鳥村と合併して、加茂村が発足した。
後史
旧高滝村の村域には高滝ダムがある。このダムは養老川の治水と上水道・農業用水取水のために設けられた千葉県営の多目的ダムで[10]、村の廃止後の1958年にダム候補地の選定が行われ、110戸の家屋移転などを経て、1990年に完成した[10]。
町村制施行以後の行政区画変遷年表
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、高滝村・養老村・本郷村・大和田村・久保村・外部田村・駒込村・山口村・不入村が合併し市原郡高滝村が発足。
- 1954年(昭和29年)1月15日 - 富山村、里見村、白鳥村と合併し加茂村となり消滅。
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 加茂村と南総町が市原市に編入。加茂村は消滅。
交通
鉄道
注釈
出典
- ^ a b 『千葉県市原郡誌』, p. 1249.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 4, 1249.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 1264.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 1263.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 1257.
- ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 1255.
- ^ 『明治22年千葉県町村分合資料 七』, 158コマ.
- ^ 『明治22年千葉県町村分合資料 七』, 153コマ.
- ^ 『明治22年千葉県町村分合資料 七』, 6コマ.
- ^ a b “高滝ダムのおいたち”. 千葉県. 2021年10月5日閲覧。
- ^ 『千葉県市原郡誌』, pp. 1278–1279.
- ^ “鶴岡安宅”. 東金市史(ADEAC所収). 2021年10月5日閲覧。
固有名詞の分類
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