連続大量差別はがき事件 犯行動機についての供述

連続大量差別はがき事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 06:18 UTC 版)

犯行動機についての供述

犯行動機について
最初は興味本位だったが、やってみるとおもしろかった。また、やっている間に『義務感』のようなものも芽生えてきた。
被害者とは一面識もないし、被差別部落や部落解放同盟についても知らない。本で読んだ知識だけだ。犯行直前まで関心もなく全然知らなかった。
解放同盟や被害者たちに別段はっきりした反感はない。解放同盟が出している差別事件の報告集を読んで、「気にくわないなあ」と思った。解放運動のことはよく知らない。
法廷での発言
大学卒業後なかなか就職できず、そのためストレスを抱えていた。
以前短期間勤めていた職場で、「部落問題は触れてはいけないタブーだよ」というような会話を聞いたことがあり、部落問題について充分な知識がなかったので、単純に「部落=タブー=恐いもの」と思ってしまった
事件前にたまたま図書館で読んだ部落問題の図書に強い影響を受けた。特に『同和利権の真相』という本を読んで、その内容を頭から信じ込んでしまった。
被差別部落は自分より下であるはずなのに、『同和利権の真相』に書いてあるような、ひどいことをしているのは許せない。差別して自分のストレスを解消しようと思った。
ハンセン病患者や在日朝鮮人もターゲットにしたことについて
自分は体制にたてつく者は嫌いだから。

ネットに流れた自作自演説

本件の判決確定後、2ちゃんねるなどのインターネット掲示板でこの事件を「解同の自作自演」と主張する投稿が行われた。しかし、自作自演説の根拠として挙げられたのは1983年8月に兵庫県で発覚した「解同兵庫県連篠山支部長による旧篠山町差別落書きやらせ疑惑事件」であったが、これは本事件とは何ら関連性が認められなかった。結局、自作自演説に根拠になり得るものは挙げられなかった。

糾弾会

  • この節の文章はすべて、被害者の一人、浦本誉至史が書いた『連続大量差別はがき事件 被害者としての誇りをかけた闘い』 2011年 解放出版社 から引用している。 
  • 2008年1月19日、犯人の希望に従い、被害者ならびに都連と犯人が参加して事件の糾弾会が開催された。会場は台東区橋場の東京都人権プラザである。出席者はあらかじめ絞られ約30名であった。在日本朝鮮人人権協会や、障害児を普通学校へ・全国連絡会からも出席した[2]。犯人は一人で現れ、糾弾会の席上、おおむね次のように語り謝罪した。

犯行動機は裁判で証言したとおりだが、とくに「同和利権の真相」という本に影響をうけたところがおおきかった。自分は東京うまれで東京育ちで部落問題についてはよく知らなかったし、正しい知識を学んだこともなかった。だからこの本に書いてあることはすべて真実だと単純に信じてしまった。公立図書館に置いてあるような本は間違いないと思っていた。利用した図書館はA市立A図書館、H市立H図書館、M区立Y図書館などだ。都立図書館にもいっている。いくら本に書いてあるからと言って、それを真にうけて、しかも被害者はまったく利害関係のない赤の他人なのに、こんなひどいことをするなんてありえないだろう、と聞かれる。その疑問はもっともだが、当時の正直な自分の気持ちとしては、被害者のことなどどうでもよかった。被差別部落出身者をいじめ、ストレスの解消ができればよかった。(中略)逮捕されてから、警察や裁判で被害者の「陳述書」を読んで、自分の行為によって被害者が苦しんでいたことを知って驚いた。その時はじめてとんでもないことをしたことに気づき、申し訳ないと思った。これまでに一度でも部落問題について正しく学ぶ機会があれば、自分は、こんなことはしなかったと思う。刑務所に服役しているあいだ、法務局の人が何度かきて、「人権教育」というものを受けた。しかし正直にいって、自分にはよくわからなかった。(中略)自分の場合、逮捕されて裁判などで被害者の生の声を見聞きしなければ、問題が理解できなかった。(中略)被害者に心から謝罪し、もう二度と差別をしないことを誓う[3]

浦本は、犯人に「『浦本誉至史は特殊部落出身です。人間じゃない賤しい生物です』というはがきを書いてばらまいたね。その結果何がおこったか知っているか。それから菊池恵楓園にすくなくとも5通のはがきや手紙を送ったね。そのなかの3通は私の名前と住所を騙ったものだ。(中略)ぼくは君を追い詰めることはしない。人間は決して一人では生きられない。自分のことが可愛かったら、他人の事も大事にしなければいけない」と諭した。これに対し、犯人は「自分勝手な思い込みにより、何の関係もない皆様にたいして八つ当たりをして1年半にわたって差別を繰り返しました。そのことを深くお詫びし、反省します。ほんとうにもうしわけありませんでした」と述べた[4]

  1. ^ 浦本[2011:3]
  2. ^ 浦本[2011:211]
  3. ^ 浦本[2011:211-213]
  4. ^ 浦本[2011:214-216]


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