荒木初子 関連施設・建築物

荒木初子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 01:18 UTC 版)

関連施設・建築物

吉川英治文化賞受賞時、その賞金は高知県に寄付されており、それをもとに高知県や高知市から特別予算が組まれ、1968年に「宿毛市沖の島へき地保健衛生相談所[34]」(沖の島衛生館)が完成した。保健婦の地域活動の拠点という目的でつくられたが、保健婦駐在制度の廃止後は本来の目的が失われ、イベント時の調理場などとして利用されている[2]

2015年(平成27年)には荒木生誕100年を前に、荒木の功績を称える島民や出身者ら「保健婦初子の会」により、沖の島に顕彰像「保健婦 初子の像」が建立された。生前の出勤時のトレードマークだった鞄を肩にかけ、赤ん坊を抱いた姿の石像で、沖の島の弘瀬港に面する公園に建てられている[28][31]

荒木初子記念館

荒木初子記念館

荒木が弘瀬で生涯を送っていた自宅はその後、「荒木初子記念館」として保存された。荒木の生前の活動の調査と記録を行っていた幡多高校生ゼミナールの顧問らが当時の写真、賞状、関連記事を閲覧可能なようにまとめ、荒木の死去と同年から公開が始められた[35]

館内には家具や仏壇などが生前のままにされており、元気だった頃に右手で書いた手紙、右半身の自由を失った後に左手で書いた手紙などが保管された[25]。台風やシロアリによる被害を被ったこともあるが、有志による『孤島の太陽』上映会や舞台公演による寄付などで修繕が続けられた[25]。2015年春からは、「保健婦初子の会」が維持管理を引き受けていた[25]

しかし家屋の老朽化が著しい上に、「保健婦初子の会」の会員の高齢化に伴って館の維持が困難になり、維持のための資金も底を突きつつあるため、島外で生活する親族の了承のもと、2024年(令和6年)3月末での閉館が決定した[35][36]

閉館後は同2024年5月より、時間をかけて解体されることが予定されている[35][36]。館内の写真や資料は、沖の島総合開発センターや、宿毛市内の宿毛歴史館で閲覧可能とするような方針が打ち出されている[35]


注釈

  1. ^ 伊藤 1967, p. 68より引用。
  2. ^ 上村 1967, p. 44より引用。
  3. ^ 伊藤 1967, p. 189より引用。

出典

  1. ^ 日本人名大辞典上田正昭他監修、講談社、2001年12月6日、84頁。ISBN 978-4-06-210800-3https://kotobank.jp/word/荒木初子-10511852015年10月3日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g h 孤島の太陽 荒木初子
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 木村 1988, pp. 52–55
  4. ^ a b 秋吉 1969, pp. 195–196
  5. ^ a b c d e 伊藤 1967, pp. 65–70
  6. ^ a b c d e 「訃報 元県駐在保健婦「孤島の太陽」モデル 荒木初子さん死去 81歳」『高知新聞』高知新聞社、1998年9月12日、朝刊、31面。
  7. ^ a b 伊藤 1967, pp. 9–14
  8. ^ a b c d e f g 永井一顕「高知県で島民の衛生向上に尽くした元保健婦・荒木初子さんほか」『読売新聞読売新聞社、1998年9月27日、東京朝刊、33面。
  9. ^ 伊藤 1967, p. 29.
  10. ^ 伊藤 1967, pp. 37–38.
  11. ^ 伊藤 1967, p. 21.
  12. ^ a b c d e 伊藤 1967, pp. 70–76
  13. ^ a b c d 秋吉 1969, pp. 191–193
  14. ^ a b 「宿毛・沖ノ島で保健婦活動、荒木さんの追悼集発行 島民の思い出ぎっしり」『読売新聞』、2000年1月7日、大阪朝刊、31面。
  15. ^ a b c 「「孤島の太陽」しのぶ 荒木初子さん追悼集発行 宿毛市 幡多高校生ゼミOBら」『高知新聞』、2000年1月7日、朝刊、25面。
  16. ^ 伊藤 1967, pp. 120–137.
  17. ^ a b c d 伊藤 1967, pp. 162–168
  18. ^ a b c d e f 伊藤 1967, p. 202
  19. ^ a b 秋吉 1969, pp. 193–195
  20. ^ a b c d e f g h i 鴻 1968, pp. 77–89
  21. ^ 笹島康仁「土佐あちこち 変えるために」『高知新聞』、2015年5月10日、朝刊、26面。
  22. ^ a b 荒木 1967, pp. 48–49
  23. ^ a b c d 松田俊輔「四国・名作の旅 孤島の太陽 はー姉さん 健康の礎」『読売新聞』、2012年2月22日、大阪朝刊、32面。
  24. ^ a b c d 上村 1967, pp. 44–45
  25. ^ a b c d e f 中川壮「週刊まちぶら 第139号 荒木初子さんをたずねて 沖の島弘瀬地区」『朝日新聞朝日新聞社、2009年3月1日、高知地方版、29面。
  26. ^ a b 伊藤 1967, pp. 138–161
  27. ^ a b c d 伊藤 1967, pp. 204–219
  28. ^ a b c 広浜隆志「「保健婦初子」感謝の像 荒木さん生誕100年」『読売新聞』、2015年5月2日、大阪朝刊、27面。2015年9月29日閲覧。オリジナルの2015年5月25日時点におけるアーカイブ。
  29. ^ a b 西条 2010, pp. 80–81
  30. ^ a b c d 木村 2012, pp. 280–284
  31. ^ a b TOPIX”. 沖の島 (2015年4月30日). 2015年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月11日閲覧。
  32. ^ a b 笹島康仁「離島の保健師 功績後世に 故荒木初子さん石像完成 宿毛市沖の島」『高知新聞』高知新聞社、2015年5月1日、朝刊、27面。
  33. ^ 村上和陽「「孤島の太陽」のモデル 荒木さんを追悼しよう 宿毛で9月 遺品展示や上映 「沖の島二世会」など計画」『高知新聞』、2008年7月1日、朝刊、20面。
  34. ^ 宿毛市立へき地保健衛生相談所条例”. 宿毛市 (1973年3月30日). 2015年10月6日閲覧。
  35. ^ a b c d e 坂本出「保健師の献身忘れないで 荒木初子記念館 月内閉館 宿毛市沖の島 功績伝え25年」『高知新聞』、2024年3月22日、朝刊、22面。
  36. ^ a b c d 広浜隆志「荒木初子 31日閉館「孤島の太陽」モデル」『読売新聞』、2024年3月24日、大阪朝刊、33面。2024年3月25日閲覧。
  37. ^ 西内義雄「映画「孤島の太陽」に魅せられて 中学生のときに見たあの映画が将来を決めた」『月刊地域保健』第39巻第6号、東京法規出版、2008年6月、91頁、CRID 1520573330911338112 
  38. ^ 木村 2005, p. 92.


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