第五十一号型駆潜艇 艦型

第五十一号型駆潜艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 08:22 UTC 版)

艦型

基本計画番号は第51号と第52号がK5A、第53号がK5B[5]

機関

機関はソーニクロフト社の設計で使用されていたディーゼルエンジンを採用することになった[22]。 2基をドイツのMAN社から購入し第五十一号駆潜艇に、MAN社からの購入品をもとに三菱重工業横浜船渠川崎造船所で1基ずつ複製したものを第五十二号駆潜艇にそれぞれ装備することとした[23][24]。 この機関の名称はW10V30/38型1,500馬力高速ディーゼル(海軍制式名「マ式一号過給機付内火機械」)で、単動4サイクル、無気噴霧式、過給器付の10気筒機関で気筒直径300 mm、ストローク380 mmだった[23]。 軽量・高出力の代わりに華奢な機関で[22]、 価格も高く量産には不適当なものだった[25]。 機関を国内で製造した第五十二号駆潜艇は他の2艇(1937年秋竣工)に比べて竣工が大きく遅れる(1939年7月)ことになった。

第五十三号駆潜艇(以下第53号)は量産を考慮して[26] 艦本式タービン2基とホ号艦本式水管缶1基を装備した[27]。 船体の大きさを変えず、性能はほぼ同一の機関を計画するのに苦労したという[28]。 燃料節約のためと高温高圧蒸気の実艦試験の性格を兼ねて[29]、 蒸気圧力45 kg/cm3、蒸気温度400 ℃とし[27]、 のちの島風型駆逐艦以上の高温高圧機関だった。 また主機のタービンは、巡航タービンを無くして巡航時は一方の高圧タービンの排気で他方の低圧タービンを駆動する複雑な構造だった[23]。 建造した大阪鉄工所では高温高圧蒸気機関の製造、艤装の経験が無く、蒸気漏れが各所で多発したと言われている[23]第53号の船体は機械据付台や縦通構造の変更も必要となり、外観は51号、52号と似ているが、内容的には全く別の船体となった[27]。 煙突は非対称のホ号艦本式ボイラー1基を搭載した関係で中央から左舷に寄った。 重油タンクを舷側に装備したが、そこからの重油漏れに悩まされたという[27]。 その他に復水器や燃料ポンプなどの補助機械を両舷共通の1つとするなど切り詰めた設計だった[29]。 予備水タンクの量も少なくなり、公試中に燃料より先にボイラー用の真水が無くなることがあったという[29]

発電機は15 kW・105 Vディーゼル発電機2基を装備した[16]第53号は25 kW・105 Vターボ発電機1基と3 kW・105 Vディーゼル発電機1基を装備した[16]

船体・艤装

高速のため凌波性が必要であるが、復原性能を考えて乾舷は高く出来ず、艦首に大きなシアを付した[25]。 一方の艦尾は船殻重量削減のために乾舷を減じた[25]。 艦尾形状の特徴として、艦尾端部にナックルを付した改良型のデストロイヤー・スタンの採用で、これはソーニクロフト社の設計から得たものとなる[30]③計画で建造された陽炎型駆逐艦から同様の艦尾形状が採用された[30]

艦橋は波浪を被ること考えて全閉鎖式とした[25]。 舵取装置は電動式(2馬力[7])を装備し、艦橋から簡易電動操舵を行った[25]。 スペースの関係上(40 mm機銃の操作に邪魔にならないよう)揚錨機械も電動式(7.5馬力[7])となり、小型艇としては高価な装備となった[25]

は普通型0.2トンを2丁、副錨無し、錨鎖は⌀15×7節(175 m)を2連装備した[13]。 ホーサーとしての鋼は横付け用に⌀20×75 mを2巻装備した[13]。 麻は、繋留重要作業用に⌀28×150 mを1巻、専索及雑用に⌀22×100 mを1巻装備した[13]

兵装

砲熕兵装は40 mm単装機銃1艇で艦首に装備した[25]。 軍令部は、艦首では波を被る時に使用不能となるため、艦後部の装備を主張した[25]。 このために後方に移設のスペースを用意していたが、実用の際に問題がなく装備位置はそのままだった[25]

水雷兵装は九四式投射機2基、装填台2基、投下軌道1条を装備、爆雷18個を搭載した[25]。 水中聴音機は艦橋下に設置した[25]。 水中聴音機は発達の過渡期であり区画内に水を張ったが、吃水が浅いこともあり高性能が得られる見込みはなかった[25]

航海・光学兵装として、一四式1.5 m測距儀1基、8 cm双眼鏡2基を装備した[31]

無線装置は長短共用受信機2基、中波無線電話機1基、TM式簡便無線電話機1基、超短波送受話器1基を搭載した[17]第53号は中波送信機1基、長短共用受信機1基、TM式簡便無線電話機1基、超短波送受話器1基を搭載した[17]

艦尾改造

竣工前の完成公試では速力が23ノットに達せず、また旋回性能も不良だった[25]。 このため艦尾を1 m延長し[6]形状を変更、また舵の形状を変更し問題を解決した[25]


  1. ^ #写真日本の軍艦第13巻p.157、上写真の解説
  2. ^ a b c d e f g 昭和11年12月14日付 海軍内令 第503号。#海軍制度沿革8(1971)p.110、昭和11年12月14日内令第503号
  3. ^ a b c #S15.12.25内令提要原稿/艦船(1)画像10、特務艇類別等級
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n #S14.12.25内令提要原稿/機密保護画像7、艦船要目公表範囲
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #一般計画要領書(駆潜艇)p.2の計画値。K5A「註.上記計画ハ昭和十一年五月十二日現在ニ於ケル基本計画当初ノモノヲ示ス」、K5B「註.上記計画ハ昭和十一年十二月二十四日艦本機密決第二九二号ニ依ル基本計画当初ノモノヲ示ス」
  6. ^ a b c #海軍造船技術概要(1987)上巻pp.637-638、51号型主要要目
  7. ^ a b c d e f g #一般計画要領書(駆潜艇)p.14
  8. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1717
  9. ^ #一般計画要領書(駆潜艇)p.22、K5A第51号艦型駆潜艇、重量比較表
  10. ^ #一般計画要領書(駆潜艇)p.23、K5B第53号駆潜艇、重量比較表
  11. ^ #一般計画要領書(駆潜艇)p.16、准士官以上3人、下士官兵38人。「上記計画ハ各建造当時ノモノヲ示ス」
  12. ^ #海軍制度沿革10-2(1972)pp.887-888、昭和12年7月20日内令第347号、驅潜艇乗員標準及救難船乗員標準改定。士官1人、特務士官1人、准士官1人、下士官13人、兵25人。
  13. ^ a b c d #一般計画要領書(駆潜艇)p.18
  14. ^ #一般計画要領書(駆潜艇)p.4
  15. ^ a b c d #一般計画要領書(駆潜艇)p.6
  16. ^ a b c #一般計画要領書(駆潜艇)p.10
  17. ^ a b c d #一般計画要領書(駆潜艇)p.12
  18. ^ a b c d e #S18.5-6内令2巻/昭和18年5月(5)画像50、昭和18年5月20日内令第980号
  19. ^ a b c d e f #海軍造船技術概要(1987)上巻p.634
  20. ^ #日本軍艦建造史p.370、計画番号表
  21. ^ #海軍造船技術概要(1987)上巻pp.634-635
  22. ^ a b c d e #海軍造船技術概要(1987)上巻p.635
  23. ^ a b c d 阿部安雄「技術面から見た日本海軍護衛艦艇の発達 2.機関」#日本海軍護衛艦艇史(1996)pp.156-157
  24. ^ 丸スペシャル 『駆潜艇・哨戒艇』、p. 32。
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m n o #海軍造船技術概要(1987)上巻p.636
  26. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1718
  27. ^ a b c d #海軍造船技術概要(1987)上巻p.637
  28. ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻pp.1718-1719
  29. ^ a b c #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1719
  30. ^ a b #海軍造船技術概要(1987)上巻p.638
  31. ^ #一般計画要領書(駆潜艇)p.8、航海及光学兵装(一)。
  32. ^ a b c #S12.12.01内令提要原稿/艦船画像8、特務艇本籍及所属
  33. ^ a b c d #S14.12.25内令提要原稿/艦船(1)画像18、特務艇本籍及所属
  34. ^ a b c d #S16.11-12内令4巻/昭和16年12月(2)画像7-9、昭和16年12月10日内令第1621号
  35. ^ a b c #S18.1-4内令1巻/昭和18年4月(1)画像30,38-39、昭和18年4月1日内令第548号「特務艇ノ本籍及所属別表ノ通改正ス」
  36. ^ a b c #自S19.1至19.7内令/昭和19年2月(2)画像25-26、昭和19年2月15日内令第329号
  37. ^ a b #S19.8-9秘海軍公報/9月(1)画像9、昭和19年8月28日内令第2005号
  38. ^ a b c 昭和19年2月15日付 海軍大臣官房 官房軍第185号。
  39. ^ a b 昭和19年8月28日付 海軍大臣官房 官房軍第1042号。
  40. ^ a b c #S12達/3月画像1、昭和12年3月4日達第25号
  41. ^ a b c #S12達/3月画像1、昭和12年3月4日達第24号
  42. ^ #S13.12.25内令提要原稿/艦船(1)画像16、特務艇本籍及所属。昭和15年12月15日内令第1148号「特務艇ノ本籍及所属別表ノ通改正ス」
  43. ^ a b c #S16.7-12達/12月画像1,12、達第116号附表第一
  44. ^ #S19.8-9秘海軍公報/9月(1)画像9、昭和19年8月28日内令第2004号
  45. ^ a b c d 世界の艦船 『日本海軍護衛艦艇史』、p. 116。
  46. ^ 昭和13年1月15日付 海軍辞令公報 号外 第122号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072073300 で閲覧可能。
  47. ^ a b 昭和13年4月9日付 海軍公報 (部内限) 第2882号。
  48. ^ 昭和13年7月30日付 海軍辞令公報 (部内限) 号外 第218号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072074100 で閲覧可能。
  49. ^ a b 昭和14年5月26日付 海軍公報 (部内限) 第3217号。
  50. ^ 昭和14年5月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第335号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072075700 で閲覧可能。
  51. ^ 昭和14年7月25日付 海軍内令 第564号。
  52. ^ a b #自S19.1至19.7内令/昭和19年2月(2)画像25、昭和19年2月15日内令第328号
  53. ^ #写真日本の軍艦第13巻p.158下の写真解説





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