第二次フィッシャー砦の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 05:04 UTC 版)
戦いの後
フィッシャー砦の喪失で、南軍の最後の海港の運命が閉じられた。このことは、南軍が新しく形成されつつある世界の貿易市場と隔絶されることであり重大だった。1ヶ月後ジョン・マカリスター・スコフィールド少将の北軍がケープフェア川を遡り、ウィルミントンを占領した。
1月16日、北軍の祝勝気分は、砦の火薬庫が爆発して火薬庫の屋根の上で寝ていた104名の北軍兵が殺害されたときに損なわれた。
ウィリアム・ラムはこの戦闘で生き残ったが、その後の7ヶ月間は松葉杖が必要だった。ホワイティングは捕虜になり、収容所にいる間に死んだ。ペニーパッカー大佐の傷は致命傷と考えられ、テリーは准将への名誉昇進を受けさせることを保障した。ペニーパッカーはテリーが約束したように名誉昇進を受けたが、2月18日に20歳で正式に志願兵の准将に昇進した。今でもアメリカ陸軍でその階級を受けた最年少の記録となっている(その後1916年まで生きた)。N・マーティン・カーティスも准将への正式昇進を受け、カーティスとペニーパッカーはこの戦闘での功績で名誉勲章を受けた。アメリカ合衆国陸軍長官エドウィン・スタントンが思いがけずフィッシャー砦を訪れ、テリーがスタントンに守備隊の軍旗を贈呈した。
対戦した戦力
北軍
暫定軍団 - アルフレッド・テリー少将
- 第1師団(第24軍団)
- 第2旅団 - ジョセフ・C・アボット大佐
- 第2師団(第24軍団) - アデルバート・エイムズ准将
- 第1旅団 - N・マーティン・カーティス名誉准将
- 第2旅団 - ガルーシャ・ペニーパッカー大佐
- 第3旅団 - ルイス・ベル大佐
- 第3師団(第25軍団) - チャールズ・J・ペイン准将
- 第2旅団 - ジョン・W・エイムズ大佐
- 第3旅団 - エリアス・ライト大佐
北大西洋封鎖戦隊 - デイビッド・ディクソン・ポーター海軍少将 (USSサスケハナおよびUSSポーハタン以外の艦船リンクは全て英文)
- 海軍上陸部隊 - キダー・R・ブリーズ戦隊長
- 第1師団(アメリカ海兵隊) - リュシアン・L・ドーソン海軍大佐
- 第2師団 - チャールズ・H・クッシュマン海軍中佐
- 第3師団 - ジェイムズ・パーカー海軍中佐
- 第4師団 - トマス・O・セルフリッジ海軍中佐
南軍
ノースカロライナ方面軍 - ブラクストン・ブラッグ将軍
第3地区 - W・H・C・ホワイティング少将
- ケープフェア河口守備軍 - ルイス・ヘバート准将
- フィッシャー砦守備隊 - ウィリアム・ラム大佐 負傷; ジェイムズ・ライリー少佐
- ホーク師団 - ロバート・F・ホーク少将
- クリングマン旅団 - ヘクター・マキサン大佐
- コルキット旅団 - アルフレッド・H・コルキット准将
- ハーグッド旅団 - ロバート・F・グラハム大佐
- カークランド旅団 - ウィリアム・カークランド准将
関連項目
固有名詞の分類
- 第二次フィッシャー砦の戦いのページへのリンク