矢代俊一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 03:19 UTC 版)
主な関係者
- 滝川修二
- 暴力団・田沼組系小桜組門下城東会会長。大柄なたくましい体格で、若いころは極めて非情なことで知られた。独身で、家族は皆無だが、若い頃に大阪である女に産ませた、顔も名も知らない息子がいるらしい。無学ながらも音楽に対して意外なほど鋭い感性を持っており、小桜組の代貸時代に矢代と知り合った際には、彼の最初の理解者ともいうべき存在となった。小桜組と大政会の抗争の際に、右腕を失ったものの、その後、江東区界隈を仕切る城東会の会長となった。矢代が35歳の時に、さまざまなトラブルに巻き込まれた際には、その庇護者的な存在として、矢代を再三にわたって救出した。彼の死後、矢代は彼に捧げる曲「ブルース・for T」を作曲した。
- テディ・ベイカー・ヤシロ
- 矢代俊一の妻。ボストン出身の白人の元ゴスペル・シンガー。金髪。ニューヨークで矢代と知り合って結婚した。幼少時に親類から性的虐待を受けたことなどをきっかけとして、重度の麻薬中毒者となっていたが、矢代と結婚してまもなく治療に成功し、矢代とともに日本へやってきた。だが、慣れぬ異国での暮らしに、アルコール中毒と睡眠薬中毒を悪化させ、最後には再び麻薬にも手を出すようになってしまった。
- 結城滉
- 第1期矢代俊一カルテットのピアニスト。華族の家柄でもある、容姿端麗の一族としても知られる有名な音楽一家の三男として生まれた。3歳の時からピアノを始めて才能を発揮し、ピアノで天下を取ってやろうという野望を抱いていたが、矢代と出会ってからは、彼のサックスを支えることに専念するようになった。だが、矢代との激しいセッションの繰り返しから腱鞘炎に苦しめられるようになった。
- サミー井上
- 第1期矢代俊一カルテットのベーシスト。日本ジャズの大御所であり、老巧で冷静なベーシストとして、世界的にも名が知られている。190cmの大男。英国人の父を持つハーフで、もともと海外志向が強かったこともあり、結城の死からまもなくしてカルテットを脱退し、渡英して永住宣言した。のちに長いブランクを経て、再び矢代とカルテットを組むこととなった。
- 森村類
- 第1期矢代俊一カルテットのドラマー。大阪出身。音大の出で、若いころはパワフルで野望に満ちたドラマーとして知られていた。優れた技巧と何にも縛られない自由な発想を特徴としており、のちに前衛を志向するようになった。
- 金井恭平
- たたき上げのジャズ・サックス奏者。160cmそこそこの小柄ながら、学生時代にボクシングで鍛えた頑強な体の持ち主。あだ名は《ボス》。矢代と同じ事務所の所属で、同じサックス奏者ながら、繊細な矢代とは対照的な、骨太でワイルドな主張の強い音を特徴とする。矢代が若いころから非常に慕っている先輩でもある。学生時代から憧れの存在であった新藤麗子にまつわる事件で殺人を犯し、8年間服役していた。その事件に絡んで救った少女サチとのちに結婚した。息子にタケル。娘に由姫。
- 北原
- 矢代俊一のマネージャーにして、所属事務所『ニュー・オリエンタル・グルーヴ』の社長。ジャズを心底愛する昔気質の太った中年男。もとは金井恭平のマネージャーであった。第1期カルテット解散後、矢代がニューヨークから帰ってきた頃から、矢代のマネージャーを務めるようになった。
- 高瀬彰
- 第2期矢代俊一カルテットのピアニスト。若いころから将来を嘱望された理論派で、前衛・フリージャズを志向している。テクニックは優れていたものの、音楽性の違いから、必ずしも矢代と相性がよいとはいえなかった。矢代が事件に巻き込まれて入院していた時期に、自分のユニット結成の決意を固め、カルテットを脱退した。その後もしばしば矢代とはステージ上で共演している。
- 槙翔一郎
- 第2期矢代俊一カルテットのドラマー。堅実な腕の持ち主で、若いころから、いずれは日本のジャズシーンの中核となる存在であると云われた。第2期カルテットが解散したのちも、主として矢代のバックでドラムを務めた。
- 佐久間将大
- 第2期矢代俊一カルテットのベーシスト。バンドマンとして人柄の良さは認められていたものの、テクニックに劣り、カルテットの足を引っ張っていると批判された。本人もそのことは自覚しており、矢代が事件に巻き込まれて入院していた時期にカルテットを脱退し、アメリカへ音楽武者修行に出かけた。
- 森晃市
- ジャズ・ピアニスト。矢代と出会ったときには22歳の大学生で、西北大文学部に在籍していた。もともと矢代の大ファンで、矢代の経歴を追うように西北大ジャズ研に入り、レギュラーを取った。小柄で色白、華奢な体格の美青年で、ふちなし眼鏡もしくは銀縁眼鏡をかけており、風貌はハリー・ポッターに似ていると云われる。
- 勝又英二
- ジャズ・ドラマー。矢代と出会ったときには28歳で、すでにプロとしての活動を始めていた。170cmに少し足りないくらいのすらりとした体型で、眉は薄く、目つきは鋭い。中卒で、高校の入学式で暴力騒ぎを起こして少年院行きとなり、そこを出てすぐに単身東京へ出て来たという。
- ジム・コッドマン
- アメリカの老ブルースマン。矢代のことを天才と認め、彼をホーリー・チャイルド・オブ・ミュージックと呼んだ。矢代にとってはアメリカの父親か年長の兄ともいうべき存在で、彼とテディとのことを見守っていた。
- 竜崎晶
- 圧倒的な演技力がある実力派の人気若手俳優。きつい目元と優しい口元が特徴の、中性的な美青年。彼が主演した舞台音楽を矢代が3回担当した縁で、彼と知り合い、矢代とのコラボレーション・ライブにダンサーとして出演した。
- 伊集院大介
- 名探偵。矢代が脅迫事件に巻き込まれた際に、竜崎晶の紹介で事件の解決に携わった。詳細は伊集院大介を参照。
- 黒田吾郎
- 暴力団・城東会会員。滝川の忠実なボディガード。端正な顔立ちだが、右の目の上からほほにかけて、赤いやけどの痕がある。
- 泉秋人
- 西北大ジャズ研のベーシスト。小柄なきつい顔立ちの若者。矢代の10年以上後輩に当たる。矢代への強い崇拝心からストーカー化し、カルテット入りを拒絶されたのを逆恨みした。
- 葛木
- ジャズ・クラブ「ジャム・イン」のオーナー。結城滉の才能と人物を愛しており、その死をいたく悼んでいた。「水郷ジャズフェスティヴァル」の協賛者の一人として、企画制作にもかかわっていた。
- 久保隆
- キャバレー『タヒチ』の元ボーイ。矢代と同年で仲が良かった。のちに風俗店の店長になった。
- 英子
- キャバレー『タヒチ』の元No.1ホステス。矢代の初体験の相手でもある。『タヒチ』のボーイだった山辺にストーカー行為を受け、殺害された。
- 金
- キャバレー『タヒチ』の元ピアニスト。韓国人。
- 中村
- キャバレー『タヒチ』の元ドラマー。のちに小桜組組員となり、幹部にまで昇進した。
- 浅井
- キャバレー『タヒチ』の元ベーシスト。小桜組と大政会の抗争が激しくなったおり、大政会に走ろうとして小桜組に捕えられ、見せしめとして指を詰められた。
- 今西良
- 元アイドル歌手。矢代がそのアルバムの作曲と演奏とを手がけた
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