田畑輝樹 来歴

田畑輝樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 14:32 UTC 版)

来歴

鹿児島実業高等学校では高校選手権高円宮杯インターハイ国民体育大会選抜。元サッカー日本代表でありジュビロ磐田所属の遠藤保仁とは同級生。

高校卒業後の1998年アルビレックス新潟へ入団。ヴェルディ川崎とのチャレンジマッチ98がデビュー戦となった。その後の試合からスタメンを奪取してトップチームに定着した。

1999年7月から踵の痛みが引かず、インステップでボールを蹴れない状態。 シーズン途中の手術に踏み切り右踵の手術を受ける(踵骨(しょうこつ)とアキレスけんの中間にある三角骨障害で、同骨の一部を削る。手術は30分ほどだが、リハビリは約3カ月)。スタメン出場のFC東京戦(後半キャプテンの木澤と交代)と次節のヴァンフォーレ甲府戦(イエローカード2枚で退場)の36試合中2試合のみ。それ以後の出場はヤマザキナビスコカップ柏レイソルとの2試合だけと1年を過ごした。1998年に引き続き、新潟はオフシーズンに大量解雇をしたが、その中に田畑の名も入っており、戦力外通告となった。

2000年かりゆしFC入団。社会人選手権、国民体育大会 選抜、ビーチサッカー世界選手権欧州大会(リスボン)ポルトガル遠征。九州リーグ全勝。日本フットボールリーグ昇格をかけた全国地域サッカーリーグ決勝大会では、初戦敗退。この年に右膝前十字靭帯断裂、選手生命を危ぶまれる大怪我をしたが手術とリハビリのかいあって完全復活を果たす。沖縄県3部リーグからスタート。全勝し、飛び級で1部へ昇格。チーム発足時の一人である。 全国地域サッカーリーグ決勝大会出場の為、レンタル移籍。2007年ビーチサッカーチームレキオスFCに入団。キャプテンを務める。全国ビーチサッカー大会3連覇。2010年準優勝。

2009年の2月から東京にも進出。チーム名も東京レキオスBSに変更。 2010年全国ビーチサッカー大会は目標にしてた4連覇を果たせず準優勝。翌年、2011年全国ビーチサッカー大会は優勝し、王者に返り咲く。この大会では得点を量産し得点王になっている。全国各地のイベントや大会に呼ばれ、ビーチサッカー教室、サッカー教室の講師としても活動している。またビーチクリーンなどの活動を通じてECO活動にも積極的に取り組んでいて、NPO法人グローバル・スポーツ・アライアンス(GSA)のナビゲーターも務める。

2011年3月第1回ビーチサッカー世界クラブ選手権で優勝し世界一となったCRヴァスコ・ダ・ガマからオファーが届く。2011年5月第1回COPA BRASIL 2011 Manaus(ビーチサッカーブラジル選手権)CRヴァスコ・ダ・ガマのメンバーとして日本人初の出場を果たし、準優勝に貢献。チームメイトには元ブラジル代表エジムンドビーチサッカーブラジル代表ジョルジーニョなどもいる。2012年5月ビーチサッカー日本代表でブラジル遠征の際、第2回ビーチサッカー世界クラブ選手権に出場するACミランの練習に参加。

 2017年4月ヴィアティン三重ビーチサッカーチームを発足。ヴィアティン三重BSでは監督兼選手を務める。

2020年7月、ビーチサッカー日本代表のコーチに就任、代行監督も兼務[1]

2019年限りで代表を引退し指導者へ、2021年ビーチサッカーワールドカップロシア大会では初めて監督として指揮を取り、史上初のメダル獲得と準優勝に大きく貢献。

 JFAビーチサッカー巡回クリニックでは講師として全国各地の地域を周り、普及・育成・強化を行なっている。

 JFAこころのプロジェクトでは夢や目標を持つことの素晴らしさ、それに向かって努力することの大切さ、フェアプレーや助け合いの精神を、子どもたちと語り合い、触れ合いながら伝えていく「夢先生」として社会貢献活動も行っている。

2023年8月31日をもって6年在籍したヴィアティン三重BSを退団。退任後は日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフに専念。








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