田中星児
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主な作品(歌唱曲)
『みんなのうた』
- 自動車になったカメの歌(1973年)
- 光る夏の歌(1974年)
- 子象の行進(1976年)
- 悲しきマングース(1979年)
- たのしいさんすう(1988年)
- ねぇ 知ってるかい(1990年)
- ジャガイモジャガー(1991年)
- エトはメリーゴーランド(1992年) ※作曲者名義はNHKサイドは「田中星児」(NHKみんなのうた 全曲リスト、JASRAC作品データベース)であるが、音楽 (教科)分野で使われる教育研修社発行の楽譜集『新版・歌の森』[5]、教育研究社発売アルバムCD『クラスでクラブで たのしく歌おう合唱CD 2』[6]、歌詞検索サイト『UtaTen』掲載情報[7])では前出の『ジャガイモジャガー』の作曲者「中山竜」としている(理由は不明)。
- 大名ぎょうれつ(1996年)
『おかあさんといっしょ』
- ヤンチャリカ
- レインマン
- 北風小僧の寒太郎
- そうだったらいいのにな
『ステージ101』
『おはよう720』
- ビューティフル・サンデー(オリジナルはダニエル・ブーンで訳詞は亜美ゆう)[注釈 3]
『おはよう700』
- パロマ・ブランカ(オリジナルはオランダのジョージ・ベイカー、番組内では「ミスター・ロンリー」で有名なボビー・ヴィントンのヴァージョンが使用された)
- カントリー・ロード(オリジナルはジョン・デンバー、番組内ではオリビア・ニュートン=ジョンのヴァージョンが使用された)
『8時の空』
その他
- オートバイ野郎(1973年)[8]
- ネッシーとクッシー(1976年)
- ホームラン王(1977年)
- 王貞治の応援歌。
- 1! 2! サッカー(1978年)
- 第2回全日本少年サッカー大会テーマソング。
- おにのパンツ(1980年シングル発売)
- B面は「さやかちゃんのたんじょう日」、振り付け指導付き
- フッフ夢・夢(1978年5月)
- TBSテレビ系のアニメ「まんが日本絵巻」の新オープニング主題歌、コーラスはムーン・ドロップス。B面は同作品の新エンディング主題歌「御免候(ごめんそうろう)」。
- ラップ九九(1992年2月21日)
- バスルームはパンパカパラダイス(1994年)
- ラッキーセブンがやってきた(1997年)
- サルゲッチュのうた(1999年5月)
- Neo KAGOMAGO(ネオ・カゴマーゴ 2000年6月28日)
- 鹿児島県をテーマとしたインディーズ盤(発売元:エイオービーアンドダヴィンチインターナショナル)
出典
- ^ a b c d e f “田中星児 のプロフィール”. allcinema. 2015年12月26日閲覧。
- ^ a b c d e f “日本財団図書館(電子図書館) せんげん台児童合唱団第1回定期演奏会「歌のプロムナード」プログラム”. 日本財団図書館. 2015年12月26日閲覧。
- ^ “[プレリリース第二弾] 伊丹の盆踊りの定番曲!「ビューティフルサンデー」の田中星児さんにいろいろ聞いてみた!|伊丹のメディア「ITAMI ECHO」”. ITAMI ECHO. 2022年10月31日閲覧。
- ^ CD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)ライナーノーツ。
- ^ 『楽譜ネット』内商品情報
- ^ 参考:教育研究社公式サイト内『たのしく歌おう合唱CD』シリーズ商品カタログページ(2016年3月4日時点のアーカイブ)
- ^ 『UtaTen』より、『エトはメリーゴーランド』歌詞情報
- ^ “Discogs”. 2023年3月4日閲覧。
- ^ 廃盤なのにいまだに問い合わせが来る曲、Kyojiの音楽ひとりごと、2006年4月9日。
- ^ 田中星児withハッピーブリンデン - 2019年4月30日閲覧。
- ^ 発掘ニュース No.152 まだまだ"うたのおにいさん"前回!田中星児さん NHKアーカイブス、2017年5月19日(5月30日閲覧)
- ^ “【あの人も #NHKのど自慢 に…!】 「ビューティフルサンデー」 で知られる 歌手の #田中星児 さん デビュー前の映像が 発見されました!”. Twitter. 2022年10月31日閲覧。
注釈
- ^ 田中は同年1月から総合テレビジョンで放送が始まったステージ101に毎回出演して歌い踊るヤング101に魅せられて、半年間近くスタジオに通って見学していた。やがて番組制作スタッフに勧められて、メンバーを補充するためのオーディションを受けて合格した。
- ^ 同じヤング101の出身者の太田裕美と同時に紅白歌合戦初出場を果たした。太田は1973年1月にヤング101に加入して、田中と共にステージ101に最終回まで出演した。
- ^ 田中が1970年10月から1974年3月まで出演していたステージ101では、番組の音楽監督だった東海林修が訳詞を担当して、ヤング101の名義で取り上げられた。1972年12月20日に発表されたアルバム『ステージ101/愛の限界』(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8222)に収録。シングルは番組終了後の1976年4月20日に東芝から発売された(ETP-20265)。
固有名詞の分類
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