田中星児 主な作品(歌唱曲)

田中星児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 21:59 UTC 版)

主な作品(歌唱曲)

『みんなのうた』

  • 自動車になったカメの歌(1973年)
  • 光る夏の歌(1974年)
  • 子象の行進(1976年)
  • 悲しきマングース(1979年)
  • たのしいさんすう(1988年)
  • ねぇ 知ってるかい(1990年)
  • ジャガイモジャガー(1991年)
  • エトはメリーゴーランド(1992年) ※作曲者名義はNHKサイドは「田中星児」(NHKみんなのうた 全曲リストJASRAC作品データベース)であるが、音楽 (教科)分野で使われる教育研修社発行の楽譜集『新版・歌の森』[5]教育研究社発売アルバムCD『クラスでクラブで たのしく歌おう合唱CD 2』[6]、歌詞検索サイト『UtaTen』掲載情報[7])では前出の『ジャガイモジャガー』の作曲者「中山竜」としている(理由は不明)。
  • 大名ぎょうれつ(1996年)

『おかあさんといっしょ』

『ステージ101』

『おはよう720』

『おはよう700』

『8時の空』

  • オー・マリヤーナ(ユーゴスラビアから持ち帰った曲[2]
  • モーニング・コーヒー(作曲:田中星児)
  • 空よ雲よ小さな風よ

その他

  • オートバイ野郎(1973年)[8]
  • ネッシークッシー(1976年)
  • ホームラン王(1977年)
  • 1! 2! サッカー(1978年)
  • おにのパンツ(1980年シングル発売)
    • B面は「さやかちゃんのたんじょう日」、振り付け指導付き
  • フッフ夢・夢(1978年5月)
    • TBSテレビ系のアニメ「まんが日本絵巻」の新オープニング主題歌、コーラスはムーン・ドロップス。B面は同作品の新エンディング主題歌「御免候(ごめんそうろう)」。
  • ラップ九九(1992年2月21日)
  • バスルームはパンパカパラダイス(1994年)
  • ラッキーセブンがやってきた(1997年)
    • 野球を主題にした楽曲。作詞・作曲者の南柳の推薦で田中が歌った[10]
  • サルゲッチュのうた(1999年5月)
    • テレビゲームソフト「サルゲッチュ(1作目)」のCMソングザ・ゲッチュズ Feat.田中星児名義。放送当時はCD化されなかったが、4年後の2003年6月25日にBMGファンハウスから発売されたCMソングのミニアルバム『僕はメロンにメロンメロン〜スーパーキッズ・CMデラックス』にフルコーラスで収録されている。
  • Neo KAGOMAGO(ネオ・カゴマーゴ 2000年6月28日)
    • 鹿児島県をテーマとしたインディーズ盤(発売元:エイオービーアンドダヴィンチインターナショナル)

出典

  1. ^ a b c d e f 田中星児 のプロフィール”. allcinema. 2015年12月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 日本財団図書館(電子図書館) せんげん台児童合唱団第1回定期演奏会「歌のプロムナード」プログラム”. 日本財団図書館. 2015年12月26日閲覧。
  3. ^ [プレリリース第二弾] 伊丹の盆踊りの定番曲!「ビューティフルサンデー」の田中星児さんにいろいろ聞いてみた!|伊丹のメディア「ITAMI ECHO」”. ITAMI ECHO. 2022年10月31日閲覧。
  4. ^ CD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)ライナーノーツ。
  5. ^ 『楽譜ネット』内商品情報
  6. ^ 参考:教育研究社公式サイト内『たのしく歌おう合唱CD』シリーズ商品カタログページ(2016年3月4日時点のアーカイブ
  7. ^ 『UtaTen』より、『エトはメリーゴーランド』歌詞情報
  8. ^ Discogs”. 2023年3月4日閲覧。
  9. ^ 廃盤なのにいまだに問い合わせが来る曲、Kyojiの音楽ひとりごと、2006年4月9日。
  10. ^ 田中星児withハッピーブリンデン - 2019年4月30日閲覧。
  11. ^ 発掘ニュース No.152 まだまだ"うたのおにいさん"前回!田中星児さん NHKアーカイブス、2017年5月19日(5月30日閲覧)
  12. ^ 【あの人も   #NHKのど自慢 に…!】 「ビューティフルサンデー」 で知られる 歌手の #田中星児 さん デビュー前の映像が 発見されました!”. Twitter. 2022年10月31日閲覧。

注釈

  1. ^ 田中は同年1月から総合テレビジョンで放送が始まったステージ101に毎回出演して歌い踊るヤング101に魅せられて、半年間近くスタジオに通って見学していた。やがて番組制作スタッフに勧められて、メンバーを補充するためのオーディションを受けて合格した。
  2. ^ 同じヤング101の出身者の太田裕美と同時に紅白歌合戦初出場を果たした。太田は1973年1月にヤング101に加入して、田中と共にステージ101に最終回まで出演した。
  3. ^ 田中が1970年10月から1974年3月まで出演していたステージ101では、番組の音楽監督だった東海林修が訳詞を担当して、ヤング101の名義で取り上げられた。1972年12月20日に発表されたアルバム『ステージ101/愛の限界』(EXPRESS/東芝音楽工業、ETP-8222)に収録。シングルは番組終了後の1976年4月20日に東芝から発売された(ETP-20265)。






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