王朝国家 研究史

王朝国家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/21 15:56 UTC 版)

研究史

王朝国家とは、古代律令国家がいかに中世国家へ移行したかを理解するために提示された概念であり、研究者の立場によって様々な位置づけが試みられてきた。

最初に王朝国家という概念を示したのは高尾一彦[3]である。ここで高尾は、王朝国家を田堵農民から生産物地代を収取する貴族たちの連合政権であり、生産物地代を収取する点において封建的な要素を持ち始めているとした。この後、戸田芳実らにより王朝国家は農奴などを抑圧する初期封建国家であるとの位置づけがなされた。

王朝国家体制論に大きな進展をもたらしたのは、坂本賞三(『日本王朝国家体制論』1972年)である。坂本は土地制度史の面から王朝国家体制の理論を確立した。坂本によって名体制の成立と王朝国家の成立とが初めて有機的に理解されるようになり[要出典]、また10世紀初頭に始まる前期王朝国家と11世紀40年代を画期とする後期王朝国家の登場が唱えられるようになった[誰?][要出典]

坂本の議論は広範な支持を得るところとなり[要出典]、その後の10世紀・11世紀史研究は坂本論を中心に展開し[要出典]、坂本論の深化・批判という形で行われていった[要出典]。王朝国家体制期における中央政治機構や軍制・荘園政策・負名体制に関する研究は著しい進展を見せ、さらには王朝国家に代わる新たな古代-中世移行論が唱えられ始めてはいるが、それでも王朝国家体制論がこの時代の研究の中心に位置し続けている[要出典]

しかし、その後も、10世紀中葉以降を後期律令国家ないし律令制再編期とする見方や、摂関期を中世初期と捉える考え方などが提唱され、この時期の理解についてはいまだ定説がない。


  1. ^ 平田耿二,2000など
  2. ^ 佐藤進一,1983など
  3. ^ 「荘園と公領」(『日本歴史講座』第2巻、1956年)


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