森志げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 15:23 UTC 版)
エピソード
鷗外の4人の子供たち全員が鷗外についての本を出しており、その中で、母・志げとのエピソードをそれぞれに綴っている。
- 於菟と鷗外が親しくすると志げの機嫌が悪くなるため、於菟が鷗外に相談事などがあるときは、鷗外の職場で会っていた。
- 容姿にうるさく、「於菟ちゃんがもっと器量の良い子であったら、よほど可愛がったろうに」や、茉莉の帯を(女中に)締めさせながら「お前は器量が悪いから、紅い方を出しては似合わない」や、泣く杏奴に向かって「器量の良い子が大きな目に涙をいっぱいためているのはいいものだけど、不器量のお前が泣いて小さな目を腫れぼったくしていると、なおさら不器量になってみるのも嫌になる」などと容赦ない言葉を口にした。末子の類についても、実に嫌な顔だが、本当の美男子を知らない女が好く顔だ、ぐれるなら西洋でぐれてほしい、というようなことを言ったという。
- 類の教師から「頭に病気が無い子では類さんが一番できません」と告げられると、志げは酷く嘆き、「頭に病気が有ったらどんなに肩身が広いだろう、病気が有りますように」と念じ、病院の診察で「病気が無い」と言われると、極度の失望から「死なないかなぁ、苦しまずに死なないかなぁ」と漏らした。
- 子供に触られることを嫌い、類の記憶によると、子供に触ることのない人だった。
- 類が年頃になると、女のいる所へ行っておいでと助言し、自ら吉原へ下見に行き、病気を予防する品物を買って渡した。
- 結婚した於菟に向って「お前は頼朝みたいな男だ。あの秋田のズーズー弁の女(於菟の妻)に騙されて何でも言いなり放題になっている。今に北条家に滅ぼされたように森家もひどい目にあうのだ」と言い放った。
- 小説執筆後、鷗外の補筆で真っ赤になった原稿をそのまま出版社へ持っていっていた。
- ^ 群ようこ『あなたみたいな明治の女』松岡正剛の千夜千冊0578、2002年7月11日
- ^ 嘉部嘉隆「森鴎外論雑記(三)」『樟蔭国文学』第30巻、大阪樟蔭女子大学、1993年3月、41-52頁、CRID 1050282812971616000。
- ^ 青鞜の女たちリーブラ、2011年6月号 - 港区立男女平等参画センター
- ^ a b 新聞集成明治編年史第11巻(林泉社, 1940)
- ^ 小川功「金融恐慌と機関銀行破綻 : 東京渡辺銀行の系列企業を中心に」『滋賀大学経済学部研究年報』第3巻、滋賀大学経済学部、1996年、39-80頁、hdl:10441/512、ISSN 1341-1608、CRID 1050282814139545216。
- ^ 日本の地主と住宅地開発鈴木博之、住宅生産振興財団まちなみ大学第3期講義録、平成10年(1998)9月24日
- ^ 遺言 森鴎外、青空文庫
- ^ 森鴎外, 小堀杏奴『妻への手紙』筑摩書房〈ちくま文庫〉、1996年。ISBN 4480031898。 NCID BN15211220。全国書誌番号:97006696。
- ^ 金子幸代『鷗外と神奈川』神奈川新聞社、2004年。ISBN 487645339X。 NCID BA65320102。全国書誌番号:20553295 。
- ^ 森しげ朝日日本歴史人物事典
- ^ 三越刊行雑誌文芸作品目録 PR誌「時好」「三越」の中の文学 瀬崎圭二、同志社大学
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