枯れ野原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 03:07 UTC 版)
舞台
本画が描かれたグレー村は、パリ市街の南東およそ65キロメートル、フォンテーヌブローの南西およそ11キロメートルに位置する村であり、セーヌ川の支流の1つであるロワン川の西岸に沿って広がっている[16]。当時、村には100戸程度の小規模集落が形成されていた[17]。村域は、平坦な原野や畑が広大な面積を占めており、年間を通して四季折々のさまざまな野花が咲いている[1][8]。秋の初めごろには、野原のあちらこちらに干し草がうずたかく積まれた積みわらがみられる[1]。
黒田はグレー村を初めて訪問した日本人画家とされる。同地は彼の訪問の後、多数の日本人が訪れるようになった[18]。たとえば、久米桂一郎や浅井忠、和田英作や美濃部達吉、山下新太郎や藤田嗣治らが訪問している[19]。
- ^ a b c d e f g h i 鈴木 1976, p. 90.
- ^ “特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」”. 東京国立博物館. 2022年11月20日閲覧。
- ^ “OTHER WORKS”. 東京文化財研究所. 2022年11月20日閲覧。
“D’autres oeuvres”. 東京文化財研究所. 2022年11月20日閲覧。 - ^ 山梨 1991, p. 7.
- ^ a b 田中淳. “黒田清輝の生涯と芸術”. 東京文化財研究所. 2022年11月20日閲覧。
- ^ “枯れ野原(グレー)”. ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システム. 2022年11月20日閲覧。
- ^ a b 佐賀県立博物館 1980, p. 3.
- ^ a b c “枯れ野原(グレー)”. 文化庁. 2022年11月20日閲覧。
- ^ 隈元 1966, p. 6.
- ^ 隈元 1966, p. 7,11.
- ^ a b 隈元 1966, p. 21.
- ^ “1890(明治23) 年10月24日 - 黒田清輝日記”. 東京文化財研究所. 2022年11月20日閲覧。
- ^ 和田 1925, p. 12.
- ^ a b c d e 関根 1990, p. 16.
- ^ “開所記念展覧会目録”. 東京文化財研究所. 2022年11月20日閲覧。
- ^ 荒屋鋪 2005, p. 13.
- ^ 隈元 1940, p. 14.
- ^ 荒屋鋪 2005, p. 10.
- ^ 荒屋鋪 2005, p. 10,11.
- ^ 山梨 1991, p. 4-7.
- ^ “原”. ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システム. 2022年11月20日閲覧。
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