摩天楼健 摩天楼健の概要

摩天楼健

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 09:23 UTC 版)

摩天楼 健
基礎情報
四股名 摩天楼
本名 白田健
愛称 しらたき
生年月日 (1972-07-04) 1972年7月4日(51歳)
出身 山形県西村山郡朝日町
身長 187cm(現役時)
体重 177kg(現役時)
所属部屋 二子山部屋
得意技 右四つ・寄り
成績
現在の番付 引退
最高位幕下12枚目
生涯戦歴 238勝208敗51休(72場所)
データ
初土俵 1991年7月場所
引退 2003年5月場所
引退後 貿易業に従事
趣味 スポーツ観戦
備考
2013年10月15日現在

来歴

食品業の長男として生まれ、3歳から入門前までをニューヨーク州で過ごし、高校時代はアメフト重量挙げで鳴らしていたが、大学時代に負傷の影響でアメフトを諦めていたところに父が相撲を勧め、かくして当時「誰もが知っている」藤島部屋に入門することとなった。1991年7月場所に初土俵を迎え、本名の「白田」でデビューする。

2年足らずで新幕下に昇進したものの1993年3月に1番相撲から4連敗の後に途中休場を喫すると続く5月場所、7月場所を全休し、復帰した同年9月場所には序二段まで番付を下げていた。尚、パスポートは親方が預かっていたため休場中の帰郷は許されず、「静養のために」と試しに申し出ても「冗談でもそういう甘えたこと言うんじゃない!」激怒されて部屋で復帰を待つしかなかった。

復帰から1年余りの1994年9月場所に最高位を西幕下52枚目から西幕下48枚目まで更新して以降は、続く11月場所を西幕下38枚目、年が明けて1995年1月場所を東幕下29枚目、さらに翌3月場所を西幕下21枚目の地位で迎えるなど、4場所連続で最高位を更新する好調ぶりであった。1997年5月に自身最高位である東幕下12枚目の地位を得るが、以降同年11月場所まで負け越しが続き、1998年1月場所には三段目に陥落し、3年余り守り抜いた幕下の地位を手放すことになった。

心機一転して翌3月場所からは出身地にちなんだ摩天楼の四股名で土俵に上がったが、東幕下12枚目の地位を更新することは遂に無く、改名後は三段目が主戦場となっていった。2000年冬頃に申請したアメリカ合衆国の永住権の申請を機に引退準備を始めた影響で晩年は精彩を欠き、2002年5月場所に生涯最後の勝ち越しを記録すると引退準備に向けてそれまで180kg程度あった体重を140kgまでに減らし、2002年11月場所に序二段に陥落した末に翌年1月場所から3連続休場して2003年5月場所後に引退を迎える。だが2002年には既にアメリカでの永住権が発給されていたため、部屋関係者からは引き際を疑問視されたという。

二子山部屋は横綱2人、大関1人を輩出するなど、多くの名力士を育てきた反面、200kgを超える豊ノ海が三役・三賞ともに無縁に終わり、190kgの五剣山は十両止まり、177kgの藤ノ花は関取にすらなれないなど、重戦車型の巨漢力士は大成しない一面があり、190kgの摩天楼も同様に取的止まりで終わった。

帰国後はニューヨークで父が経営する輸入業に従事した。

エピソード

  • アメリカ育ちで日本国籍者と言う意味で藤島部屋入門時には大いに揉めたという。当時の藤島部屋は外国人力士の採用を認めておらず、部屋の衆から誤解を受けることが多かったとされる。大相撲時代全般においてこうした事情があって力を発揮し切れなかったという声もある。
  • 同じアメリカ育ちである小錦武蔵丸(彼らはアメリカ国籍者であった)などのハワイ人力士の名前は入門前まで全く知らなかったようであり、入門から半年間は顔と四股名が一致しなかったとのことである。
  • あだ名は本名(白田健)に由来する「しらたき」。本人はしらたきが好きでないようで、貴ノ浪がしつこく勧めた時は逃げ回ったという。



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