戴冠式頌歌 歴史

戴冠式頌歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/04 03:22 UTC 版)

歴史

エドワード7世

1901年にヴィクトリア女王が崩御すると、その息子エドワード7世の戴冠式の調整がほどなく着手された。この年の暮れにコヴェント・ガーデン・グランドオペラ会社はエルガーに、翌年7月に計画されている戴冠式前夜のロイヤル・ガラの作品を委嘱した。エルガーはベンソン(もしかしたらこれは王の要請かもしれない)を台本を提供させるために招聘した。ベンソンは作家でもあり音楽家でもあった。このコラボレーションは大成功した。

王はエルガーに『威風堂々』第1番のトリオの部分に歌詞がつけられたらと示唆を与えた。エルガーは王の示唆を採りあげ[2]、「頌歌」のクライマックスにこの曲を組み込むために、歌詞の作成をもとめた。エルガーは1902年2月に書きはじめ、3月末までに声部を書き終えた。その内訳は I, III, IV, V VIであった。それからベンソンは、アレクサンドラ王妃にふれた歌の必要性を実現させ、「古代の諸王の娘」を加えた。これはエルガーがしぶしぶ「王が戴冠したまわんことを」の後に付け加えた。エルガーは「英国よ、自問せよ」を「王が戴冠したまわんことを」の後に続けさせたかったのである。

ブージー出版は、大変な人気を博したので[3]、エルガーに「希望と栄光の国」の改訂版を求め、それは別の曲として作成された。事実、ロンドンでの「頌歌」初演の1週間前の「戴冠式コンサート」でクララ・バットによって歌唱され(音声ファイル参照)、大成功をおさめた。


  1. ^ もともと戴冠式は1902年7月26日に予定されたが、その2日前に王に虫垂炎が発見され、緊急手術を受けることになった。そのため戴冠式は8月9日まで延期となった。
  2. ^ これには彼の友人オーガスト・イェーガーから、はっきりと反対のアドバイスがあった。
  3. ^ 声楽の楽譜はブージー社から出版された。
  4. ^ この部分はアレクサンドラ王妃はデンマーク王室出身であることをしめす。
  5. ^ アレクサンドラがエドワード7世に嫁いだ時にも同様に表現された。
    Sea King's daughter from over the sea,Alexandra!
    Saxon and Norman and Dane are we,
    But all of us Danes in our welcome of thee,
    Alexandra!
    (海の彼方よりいらっしゃる海の王者の娘、
    アレクサンドラ殿下!
    我らはサクソンノルマンデーン混血なれど
    殿下をお迎えするにあたり我らみなデーン人となれり、
    アレクサンドラ殿下!)
    「ようこそアレクサンドラ殿下(A Welcome to Alexandra)」アルフレッド・テニスン





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