居合道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 05:22 UTC 版)
居合道(いあいどう)とは、古武道の居合術を現代武道化したものである。
注釈
- ^ 全日本剣道連盟は剣道をスポーツとして行う方針を打ち出し、日本刀を使用する居合道を除外した[5]。
- ^ この経緯について河野百錬は、「新生剣道はスポーツであるから刀やなぎなた、杖といった武器をつかう武術は別だ、といっていたのに、いつの間にか一緒にやろうと卑劣な手段までつかって誘い出してきた。女性たちのなぎなたは自分たちの連盟があるからけっこう、と拒絶できたが、居合は剣道人たちがいるし、戦前からやっている人は武徳会の段位称号に弱い。どうしても武徳会イコール全剣連になってしまう。はじめは居合道は剣道の従属物でも附属物でなく、これ自体独立した武道だ、といって従来通りに全日本居合道連盟でやろう、といっていたが、全剣連の段位称号でつられたり、全居連にいる者は剣道の昇段試験に影響する、とおどかしてくるので、次第に引き抜かれていったのです。」と述べている[6]。
- ^ 紙本栄一は晩年、『剣道日本』の取材に対し、「全日本剣道連盟が昭和27年に結成されましたが、居合道は組織の一部としてとり上げてくれない。近畿以西の四国や九州には各流派を学んだ居合道愛好家がいて、戦後初の京都大会が開かれたとき、京都の大野熊雄先生のところにそうした人たちが寄ったものです。河野百錬さんもおられ、スキヤキをつっつきながら、全日本剣道連盟がとり上げてくれないのなら我々で組織を作ろうではないか、将来、全日本剣道連盟が居合道を組織に入れなければ、そのまま移行すればいい、といった話し合いで全日本居合道連盟というのができました。戦前の居合道には称号はあったが段位はなかったので、この全日本居合道連盟では独自に段位を定め、わたしのように教士の称号をもっているものは、居合道八段とされた。このときは段位、称号を全日本居合道連盟が与えても何の不都合もなかった。30年に全日本剣道連盟が居合道を組織にきちんと入れるということで、当時の庄子宗光理事長、渡辺敏雄事務局長が全日本居合道連盟の会員全員を入れようとしたが、話がまとまらず決裂しました。そのため全日本剣道連盟所属者以外は全日本剣道連盟の大会と行事に参加させないことに決定したのです。」と述べている[7]。
出典
- ^ "居合は「スポーツ」なのか?――全剣連居合道部の金銭授受問題をめぐって(田邊元)"SYNODOS
- ^ 池田清代『居合道名人伝 上巻』54頁、251頁、スキージャーナル
- ^ 『武道範士教士錬士名鑑』(昭和12年)、大日本武徳会本部雑誌部
- ^ a b "日本大百科全書「居合術」の解説(渡邉一郎)"コトバンク
- ^ 池田清代『居合道名人伝 上巻』25頁、スキージャーナル
- ^ 池田清代『居合道名人伝 上巻』28頁、スキージャーナル
- ^ 池田清代『居合道名人伝 上巻』250-251頁、スキージャーナル
- ^ ウーマンアイ 刀剣人気 歴女が進化、居合や殺陣に魅了 - 47NEWS(共同通信 2010/02/15)
- ^ 池田清代『居合道名人伝 上巻』59頁、スキージャーナル
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