小島太 騎手としての特徴

小島太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/17 03:58 UTC 版)

騎手としての特徴

通算1000勝を越えているものの、年度別の勝利数でみると自己最多勝は58勝、30代後半以降の勝利数は概ね30勝前後と、「安定した中堅騎手」という実績ではあった[6]。しかし大舞台での勝負強さと数々の印象的な騎乗もあって「華のある男」と評され、表面的な実績以上の強い存在感を放った[6]寺山修司はその印象について「パリジゴロか伯爵夫人のつばめか、とでもいった身のこなしで、背も高くなかなか粋である。美しい馬に乗って華麗なレースをする、というのが小島太の特色であり、その点でも目立つ騎手であった」と評した[27]。また境勝太郎は「勝負強いというのか、重賞や大レースでそつなく乗って、いい結果を出すところが大向こう受けした理由だろう」としている[28]

他方、人気馬に騎乗してあっけなく敗れることも度々あった。江面弘也は小島を評して「負けっぷりがいい、とでも言うのだろうか。小島太という騎手は不思議と負けたときの印象が強い騎手だった。それゆえに罵声を浴びることも多く、おそらく歴代の名騎手と呼ばれる人たちのなかでは、最も罵声を浴びた騎手ではないか」と述べている[6]。また小島自身、「負ける時には、負けっぷりよく負けた方がいいと思うんです。3着を狙うレースをするより、勝つか、ドンジリに負けるかというレース。やっぱり大事なのは勝つっていうことですからね」と述べている[29]

市丸博司は、「全くの推論に過ぎないが、小島太騎手には、熱狂的なファンと完全なアンチファン、その2種類しかいないような気がする。中間派というのはあまり聞いたことがない[30]」と述べ、そうしたギャップが生じる理由について「素人目にも分かるぐらいの凡ミス」による敗戦と、その一方にあった「ほとんど天才的と言えるぐらい」の勝利によって、「ファンはどんどん熱狂的になり、アンチファンはますますキライになるのだろう」と論じている[30]。こうした二極化については小島自身も「ファンからしたら、日本一下手だと思う奴が半分で……。(中略)まあ、上手いと言ってくれる奴も半分いるかも知れないけど、その位の評価だと思うよ」と語っている[31]

境勝太郎は小島の騎乗ミスの例として、サクラホクトオーが最後の直線で外埒沿いまで斜行して5着に敗れた菊花賞や、コーナーを曲がり切れずに競走を中止したサクラエイコウオーの新馬戦などを挙げ、「太のおかげで何億円損したか分からない」、「調教師席の僕が何度倒れそうになったことか」、「ファンにとっては話題の多い、見ていて楽しいジョッキーだったかもしれないが、馬を託すこちらとしてはたまったものじゃない」などと、その騎乗への苦言を残している[28]。一方で好騎乗の代表例として挙げるのが、サクラユタカオーで制した天皇賞(秋)と、サクラチヨノオーで制した日本ダービーである。小島に対して辛辣な言葉が多い境をして、これらの競走については「彼の完璧な騎乗で勝たせてもらったと感謝している。どちらも馬の実力以上のレースだった」と賛辞を送っている[28]。また境は小島の美点に騎乗フォームを挙げ、「いまだにあれだけの格好で乗れる騎手は、そうはいない。馬に柔らかく当たって、負担を掛けずに軽く乗っている姿は見ためにもきれいだった。『太のあの姿勢だけは日本一だぞ。せっかくそばで見ているのだから、ああいう風に乗れるように勉強しろよ』僕はいつも弟子たちにそう言ったものだ」と述懐している[28]


  1. ^ 『優駿』1995年5月号、p.106
  2. ^ 木村(1997)p.149
  3. ^ 競馬ブックコーナー「平成17年度調教師、騎手試験合格者」”. 競馬ブック (2005年2月28日). 2006年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月20日閲覧。
  4. ^ a b c 木村(1998)pp.46-48
  5. ^ a b c 小島(1993)pp.54-56
  6. ^ a b c d e f g h i j k 『優駿』2007年9月号、pp.137-140
  7. ^ a b 寺山(1992)p.187
  8. ^ a b c 小島(1993)pp.57-58
  9. ^ 小島(1993)pp.63-64
  10. ^ a b 小島(1993)pp.77-78
  11. ^ 木村(1998)p.48
  12. ^ a b c 木村(1997)pp.313-314
  13. ^ 『挑戦 サクラローレル物語』p.50-52
  14. ^ 『挑戦 サクラローレル物語』p.174
  15. ^ 小島(1993)p.82
  16. ^ 鶴木(1997)p.286
  17. ^ a b c 小島(1993)pp.84-89
  18. ^ 小島(2006)p.72
  19. ^ 境(1998)p.68
  20. ^ 『優駿』1994年2月号、p.140
  21. ^ 『優駿』1995年2月号、p.135
  22. ^ 『優駿』1996年4月号、p.5
  23. ^ 『優駿』1996年3月号、p.62
  24. ^ a b 『優駿』2002年2月号、pp.59-60
  25. ^ 日本中央競馬会公式サイト 調教師名鑑「小島太」(直接リンク不可)
  26. ^ 調教師12名が勇退・引退日本中央競馬会、2018年2月13日閲覧
  27. ^ 寺山(1992)p.194
  28. ^ a b c d 境(1998)pp.66-67
  29. ^ a b 『優駿』1994年5月号、pp.48-51
  30. ^ a b 『名馬列伝サクラバクシンオー』p.104
  31. ^ 田原(1996)p.215
  32. ^ 『Number Plus』p.118
  33. ^ a b 田原(1996)pp.162-164
  34. ^ 『競馬名馬&名勝負読本』p.26
  35. ^ a b 競馬最強の法則』2010年4月号、p.76
  36. ^ 小島(1993)p.9
  37. ^ a b c 木村(1998)p.54
  38. ^ a b 『優駿』1996年4月号、p.46
  39. ^ 小島(1993)pp.70-72
  40. ^ 小島(2006)pp.20-21
  41. ^ 小島(1993)pp.73-74
  42. ^ 小島良太 (2011年5月21日). “東京競馬場へGO”. 小島良太公式ブログ「馬なりぃ」. 2013年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月22日閲覧。
  43. ^ 小島(1993)p.119
  44. ^ 大川(1999)
  45. ^ 小島良太 (2011年8月11日). “ALL TIME SUPER GUEST 発売日!”. 小島良太公式ブログ「馬なりぃ」. 2013年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月20日閲覧。
  46. ^ 小島(1993)p.109
  47. ^ 『サクラ軍団~栄光の軌跡~』


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