小島太
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騎手としての特徴
通算1000勝を越えているものの、年度別の勝利数でみると自己最多勝は58勝、30代後半以降の勝利数は概ね30勝前後と、「安定した中堅騎手」という実績ではあった[6]。しかし大舞台での勝負強さと数々の印象的な騎乗もあって「華のある男」と評され、表面的な実績以上の強い存在感を放った[6]。寺山修司はその印象について「パリのジゴロか伯爵夫人のつばめか、とでもいった身のこなしで、背も高くなかなか粋である。美しい馬に乗って華麗なレースをする、というのが小島太の特色であり、その点でも目立つ騎手であった」と評した[27]。また境勝太郎は「勝負強いというのか、重賞や大レースでそつなく乗って、いい結果を出すところが大向こう受けした理由だろう」としている[28]。
他方、人気馬に騎乗してあっけなく敗れることも度々あった。江面弘也は小島を評して「負けっぷりがいい、とでも言うのだろうか。小島太という騎手は不思議と負けたときの印象が強い騎手だった。それゆえに罵声を浴びることも多く、おそらく歴代の名騎手と呼ばれる人たちのなかでは、最も罵声を浴びた騎手ではないか」と述べている[6]。また小島自身、「負ける時には、負けっぷりよく負けた方がいいと思うんです。3着を狙うレースをするより、勝つか、ドンジリに負けるかというレース。やっぱり大事なのは勝つっていうことですからね」と述べている[29]。
市丸博司は、「全くの推論に過ぎないが、小島太騎手には、熱狂的なファンと完全なアンチファン、その2種類しかいないような気がする。中間派というのはあまり聞いたことがない[30]」と述べ、そうしたギャップが生じる理由について「素人目にも分かるぐらいの凡ミス」による敗戦と、その一方にあった「ほとんど天才的と言えるぐらい」の勝利によって、「ファンはどんどん熱狂的になり、アンチファンはますますキライになるのだろう」と論じている[30]。こうした二極化については小島自身も「ファンからしたら、日本一下手だと思う奴が半分で……。(中略)まあ、上手いと言ってくれる奴も半分いるかも知れないけど、その位の評価だと思うよ」と語っている[31]。
境勝太郎は小島の騎乗ミスの例として、サクラホクトオーが最後の直線で外埒沿いまで斜行して5着に敗れた菊花賞や、コーナーを曲がり切れずに競走を中止したサクラエイコウオーの新馬戦などを挙げ、「太のおかげで何億円損したか分からない」、「調教師席の僕が何度倒れそうになったことか」、「ファンにとっては話題の多い、見ていて楽しいジョッキーだったかもしれないが、馬を託すこちらとしてはたまったものじゃない」などと、その騎乗への苦言を残している[28]。一方で好騎乗の代表例として挙げるのが、サクラユタカオーで制した天皇賞(秋)と、サクラチヨノオーで制した日本ダービーである。小島に対して辛辣な言葉が多い境をして、これらの競走については「彼の完璧な騎乗で勝たせてもらったと感謝している。どちらも馬の実力以上のレースだった」と賛辞を送っている[28]。また境は小島の美点に騎乗フォームを挙げ、「いまだにあれだけの格好で乗れる騎手は、そうはいない。馬に柔らかく当たって、負担を掛けずに軽く乗っている姿は見ためにもきれいだった。『太のあの姿勢だけは日本一だぞ。せっかくそばで見ているのだから、ああいう風に乗れるように勉強しろよ』僕はいつも弟子たちにそう言ったものだ」と述懐している[28]。
- ^ 『優駿』1995年5月号、p.106
- ^ 木村(1997)p.149
- ^ “競馬ブックコーナー「平成17年度調教師、騎手試験合格者」”. 競馬ブック (2005年2月28日). 2006年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月20日閲覧。
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- ^ 木村(1998)p.48
- ^ a b c 木村(1997)pp.313-314
- ^ 『挑戦 サクラローレル物語』p.50-52
- ^ 『挑戦 サクラローレル物語』p.174
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- ^ 鶴木(1997)p.286
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- ^ 境(1998)p.68
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- ^ 『優駿』1996年4月号、p.5
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- ^ a b 『優駿』2002年2月号、pp.59-60
- ^ 日本中央競馬会公式サイト 調教師名鑑「小島太」(直接リンク不可)
- ^ 調教師12名が勇退・引退日本中央競馬会、2018年2月13日閲覧
- ^ 寺山(1992)p.194
- ^ a b c d 境(1998)pp.66-67
- ^ a b 『優駿』1994年5月号、pp.48-51
- ^ a b 『名馬列伝サクラバクシンオー』p.104
- ^ 田原(1996)p.215
- ^ 『Number Plus』p.118
- ^ a b 田原(1996)pp.162-164
- ^ 『競馬名馬&名勝負読本』p.26
- ^ a b 『競馬最強の法則』2010年4月号、p.76
- ^ 小島(1993)p.9
- ^ a b c 木村(1998)p.54
- ^ a b 『優駿』1996年4月号、p.46
- ^ 小島(1993)pp.70-72
- ^ 小島(2006)pp.20-21
- ^ 小島(1993)pp.73-74
- ^ 小島良太 (2011年5月21日). “東京競馬場へGO”. 小島良太公式ブログ「馬なりぃ」. 2013年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月22日閲覧。
- ^ 小島(1993)p.119
- ^ 大川(1999)
- ^ 小島良太 (2011年8月11日). “ALL TIME SUPER GUEST 発売日!”. 小島良太公式ブログ「馬なりぃ」. 2013年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月20日閲覧。
- ^ 小島(1993)p.109
- ^ 『サクラ軍団~栄光の軌跡~』
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