宜賓市 地理

宜賓市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 16:50 UTC 版)

地理

宜賓は東は瀘州市、南は雲南省昭通市、西は涼山イ族自治州楽山市、北は自貢市に接する。東西のもっとも広い部分は幅153.2km、南北の最大幅は150.4km。川南地方の中心で、四川盆地の西南の縁にある。地勢は雲貴高原へつながる南部と大涼山・小涼山のある西部が高く、北東は四川盆地内の海抜500m以下の丘陵地でありなだらかで低くなっている。海抜は500mを超え2000mまでの間であり最も高い地点(老君山)でも2008mである。市域の38%は森林であるがほとんどが人工林であり原生林は非常に少ない。

東西に長江(金沙江)が貫き、南側は雲南省貴州省と接している。岷江は北から流れ、合流点に宜賓市街地がある。その他のおもな支流には、南広河、黄沙河、越渓河、宋江河があるほか、南北方向に走る無数の支流がある。長江南岸は地形が急峻で川の流れも速く、沿岸の平地も狭い。

亜熱帯気候に属し、年平均気温は17度、年平均降水量は1,050mmから1,168mm以上、四季ははっきりと区別できる。春は早く暖かくなり、夏は高湿で、秋は雨が多く、冬は霜が少ない。

歴史

もともと僰(ほく、ボー)と呼ばれる少数民族が暮らし、農耕を行い果物を育て園芸などを営む地であったが、前漢高后六年(紀元前182年)に現在の宜賓に僰道の城が築かれ、漢族が増え始めた。昭帝始元元年(紀元前86年)に犍為郡の治所が置かれてから漢民族が多く住むようになった。

前漢末期には犍為郡は12県を管轄し、僰道は四川盆地西南部の西南半壁を扼する拠点として、現在の四川・貴州・雲南の交わる付近の統治の政治・経済・軍事・文化の中心として栄えた。漢の崩壊後、四川省西部や南部ではモンゴル系などの民族の侵入で漢族による支配は途絶えたが、6世紀半ばに南朝梁武帝が異民族を討ち、北周は戎州を置き外江県を設置した。代に外江県は再び僰道県となったが、北宋の政和四年(1114年)に僰道県は現在の名称である宜賓県と改められ戎州も叙州に改められた。

1911年12月5日、宜賓では朝に対する反乱が起こり、「大漢川南軍政府」が建設された。

行政区画

3市轄区・7県を管轄下に置く。

漢族が主要民族だが、周辺の山地は彝族苗族等の多い地区で、回族モンゴル人もわずかに住む。この地域の言語は、彝語や苗語以外は、漢語の北方語系四川官話川南方言を使っており、漢語古音が多く残った方言である。

宜賓市の地図

年表

この節の出典[1][2]

川南行署区宜賓専区

  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国川南行署区宜賓専区が成立。宜賓県南渓県江安県興文県長寧県珙県筠連県高県沐愛県慶符県が発足。(10県)
  • 1951年3月 - 沐愛県が高県に編入。(9県)
  • 1951年4月13日 - 宜賓県の一部が分立し、宜賓市が発足。(1市9県)
  • 1952年7月1日 - 慶符県・宜賓県の各一部が宜賓市に編入。(1市9県)
  • 1952年7月25日 - 宜賓県の一部が宜賓市に編入。(1市9県)
  • 1952年8月7日 - 四川省の成立により、四川省宜賓専区となる。

四川省宜賓専区(1952年-1960年)

  • 1952年12月29日 - 宜賓県の一部が宜賓市に編入。(1市9県)
  • 1953年2月25日 - 長寧県の一部が興文県に編入。(1市9県)
  • 1953年6月27日 - 慶符県の一部が高県に編入。(1市9県)
  • 1953年9月12日 (1市9県)
    • 南渓県の一部が長寧県・慶符県に分割編入。
    • 長寧県の一部が南渓県に編入。
  • 1953年10月13日 - 高県の一部が珙県に編入。(1市9県)
  • 1953年10月17日 (1市9県)
    • 長寧県の一部が珙県に編入。
    • 珙県の一部が高県・慶符県・長寧県に分割編入。
  • 1953年10月22日 - 高県の一部(旧沐愛県の地域)が筠連県に編入。(1市9県)
  • 1953年12月6日 - 長寧県の一部が慶符県に編入。(1市9県)
  • 1954年2月16日 - 高県の一部が慶符県に編入。(1市9県)
  • 1954年6月29日 - 高県の一部が珙県に編入。(1市9県)
  • 1954年11月 - 長寧県の一部が南渓県に編入。(1市9県)
  • 1957年2月9日 - 楽山専区屏山県を編入。(1市10県)
  • 1957年12月30日 - 江安県の一部が長寧県に編入。(1市10県)
  • 1958年1月22日 - 長寧県の一部が南渓県に編入。(1市10県)
  • 1958年9月10日 - 宜賓県の一部が宜賓市に編入。(1市10県)
  • 1958年11月25日 - 南渓県の一部が宜賓市に編入。(1市10県)
  • 1959年8月28日 - 宜賓県の一部が自貢市郊区に編入。(1市10県)
  • 1960年1月7日 - 慶符県が高県に編入。(1市9県)
  • 1960年7月14日 - 宜賓専区が瀘州専区と合併し、新制の宜賓専区の発足により消滅。

四川省宜賓地区(1960年-1983年)

  • 1960年7月14日 - 瀘州専区(1市7県)・宜賓専区(1市9県)が合併し、新制の宜賓専区が成立。(2市16県)
  • 1960年12月26日 - 江津専区江津県の一部が合江県に編入。(2市16県)
  • 1963年2月14日 - 古藺県の一部が叙永県に編入。(2市16県)
  • 1963年3月5日 - 宜賓市の一部が宜賓県に編入。(2市16県)
  • 1963年3月20日 - 宜賓県の一部が宜賓市に編入。(2市16県)
  • 1964年6月23日 (2市16県)
    • 宜賓市の一部が高県・南渓県・宜賓県に分割編入。
    • 納渓県の一部が瀘州市に編入。
  • 1967年1月9日 (2市16県)
  • 1968年5月31日 - 宜賓専区が宜賓地区に改称。(2市16県)
  • 1973年12月20日 (2市16県)
    • 江津地区永川県の一部(永瀘公社の一部)が瀘県に編入。
    • 瀘県の一部(宝峰公社の一部)が江津地区永川県に編入。
  • 1974年7月1日 - 宜賓県の一部が雲南省昭通地区綏江県に編入。(2市16県)
  • 1976年4月6日 - 南渓県の一部が長寧県に編入。(2市16県)
  • 1978年4月7日 - 隆昌県内江地区に編入。(2市15県)
  • 1979年4月4日 - 古藺県の一部が叙永県に編入。(2市15県)
  • 1979年11月16日 - 富順県の一部が自貢市大安区に編入。(2市15県)
  • 1981年1月 - 宜賓県の一部が富順県に編入。(2市15県)
  • 1981年2月19日 - 珙県の一部が長寧県に編入。(2市15県)
  • 1983年3月3日
    • 宜賓市が地級市の宜賓市に昇格。
    • 瀘州市が地級市の瀘州市に昇格。
    • 宜賓県・南渓県・高県・珙県・興文県・筠連県・長寧県・江安県・屏山県が宜賓市に編入。
    • 瀘県・納渓県・合江県・叙永県・古藺県が瀘州市に編入。
    • 富順県が自貢市に編入。

宜賓市(第1次)

四川省宜賓地区(1983年-1996年)

  • 1983年9月9日 - 宜賓市、宜賓市宜賓県南渓県高県珙県興文県筠連県長寧県江安県屏山県瀘州市叙永県古藺県を編入。宜賓地区が成立。宜賓市が県級市に降格。(1市11県)
    • 宜賓県・高県・南渓県の各一部が宜賓市に編入。
  • 1983年10月9日 (1市11県)
    • 叙永県の一部が興文県に編入。
    • 興文県の一部が珙県に編入。
    • 古藺県の一部が叙永県に編入。
  • 1985年6月4日 - 古藺県・叙永県が瀘州市に編入。(1市9県)
  • 1986年3月5日 - 宜賓県の一部が自貢市富順県に編入。(1市9県)
  • 1996年10月5日 - 宜賓地区が地級市の宜賓市に昇格。

宜賓市(第2次)

  • 1996年10月5日 - 宜賓地区が地級市の宜賓市に昇格。(1区9県)
    • 宜賓市が区制施行し、翠屏区となる。
  • 2006年6月5日 - 江安県の一部が長寧県に編入。(1区9県)
  • 2011年2月17日 - 南渓県が区制施行し、南渓区となる。(2区8県)
  • 2018年6月19日 (3区7県)
    • 宜賓県・翠屏区の各一部が合併し、叙州区が発足。
    • 宜賓県の残部が翠屏区に編入。
  • 2019年8月24日 (3区7県)
    • 南渓区の一部が翠屏区に編入。
    • 長寧県の一部が江安県に編入。



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