大原貯水池 沿革

大原貯水池

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/03 08:31 UTC 版)

沿革

明治以降、杣川流域では干害が頻繁に起きたため、昭和10年代後半に大原村油日村佐山村甲南町の一部の計1,100haを受益範囲として、干害防止のための県営甲南4ヵ町村農業水利改良事業(特殊重粘土地帯旱害恒久対策)に着手した[2]。当初の計画では、第1号ため池を櫟野川上流に、第2号ため池を大原川上流に建築し、20kmの幹線水路を整備・配水する計画だった[2]。戦時下ということもあり、先に1943年(昭和18年)に第2号ため池として着工し、1958年(昭和33年)に完成した[2]。なお、第1号ため池は櫟野砂防ダムとして後で建築されている。

鈴鹿山系の最上部を集水区域として、下流域水田農地 605 haに清水を安定的に供給している。老朽化が著しく、機能低下やそれに伴う安全性が問題となったため、2007年度(平成19年度)から改修された。

1972年(昭和48年)にキャンプ場を開き、1998年(平成10年)に改装して運営していたが、後に閉鎖した。

関連項目


  1. ^ 大原貯水池地区”. 滋賀県. 2019年6月27日閲覧。
  2. ^ a b c 滋賀の農業水利変遷史. 滋賀県. (2018-02). https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/4040234.pdf 


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